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広域避難者として戻った故郷で、「相談」を続けてきた自分に起こった変化

澤上幸子

NPO法人えひめ311事務局長
愛媛 松山

困りごとを見てしまうと、放ってはおけない

─── 知らない土地、つながりのない土地で暮らすというのは大変なことですね。

もちろん相談自体は減りましたけれども、難しいケースが増えていく、被災者支援の枠はとうに越えています。
「えひめ311」とは別に、私個人の仕事として2014年から全国からの電話相談「よりそいホットライン」のコーディネーターもしています。JCNの方に日本でいちばん被災者の悩みや声を聞いている相談窓口として、この事業を厚労省から受託している(一社)社会的包摂サポートセンターの方を紹介してもらいました。相談のスキルを上げたいと勉強会の講師で来てもらった時、本気で関わってくれるのなら、災害で被災された方っていう項目を作りましょうと言ってもらえまして。電話は鳴り止まず、相談内容も深刻なものが多いです。相談員同士ここで勉強しながら、愛媛での活動にも生かしてきました。

─── 「えひめ311」としての広域避難者支援は、今も続けているんですよね?

はい。被災地スタディツアーや啓発イベントの活動が増えましたが、交流会も相談窓口も続けています。12年経ってもなぜ続けているかというと、今も苦しい声が届いているからです、昨日も、地震のニュースでフラッシュバックがひどいという電話がありました。もう、地域の社協など一般的な福祉があればいいという声もあります、でもそこはやはり想像力が足りなくて、みなさん、あの震災ならではの苦しみがある。放射能が怖くて何も持たずに避難してきたっていうところから話すとなると、なかなか大変です。例えば住民票がまだ福島にありますなんて、故郷とつながりを切りたくない気持ちに対して、悪気がなくても「なんで?」みたいな発言があるともう、役所には行けなくなってしまう。なんらかの制度を利用するときに、私が一緒についていくことでフォローすることはできます。だからやっぱり、避難者のことを理解している団体、あるいは窓口って必要なんじゃないかなって思っています。

当初復興創生期間10年と想定していたのが、15年に変更になって。それもあと2年で終わります。もちろんその2年が過ぎても私たちがいなくなるわけではないんですが、やはり支援団体だけではなくて、暮らしている地域の中で地域の人たちとつなぐということを今必死にやっている感じですね。

─── 幸子さんは、活動を通して、ご自身が変わったと思うことはありますか?

そうですね、双葉の社協でお弁当を配っていた頃とは変わりました、その頃は、家族のことを考えていればいいって思っていました。でも、こんなにも困窮する人たちが世の中にいるんだというのに出会ってしまった、震災が困りごとを際立たせたと言いますけど、まさにそうだなと思います。それまでは、いろんな困りごとの、本当に一部しか知らなかった。それに気づいてしまうと、やっぱりそこをスルーできない。それを解決するためには知識もいるし技術もいるし、人脈もいる、そういうのを作らなくちゃって考えるようになりました。困りごとを見てしまうと燃え上がるというか、どうにかしなければって思ってしまう、そこがすごく変わりましたね。世の中を見たっていう感じです、重いじゃないですか、はっきり言って。重い相談も多いですし、すごく疲労があります。

─── こうして明るく話してくださるけど、相当大変だと思います。へこたれないでいるコツはなんですか?

なんでしょうね。もう、どうしようもないとか、関わっていた人が自死してしまったりして、ワーッてなるときもありますけどね。そういうとき、自分って何してるんだろうって思います。有効なリフレッシュというと、外で寝ることですね。困窮者の人に寄り添うのは自分自身が外で寝ることだと思っているので、テントの中で地べたで寝る。雨が降ってたって、その自然の音を聞きながら土の上でダーッて寝ると、なんか土に悪いものが吸い込まれて行くような、そんな気がします。

声かけるだけでちょっと上から目線になっちゃうような、支援する人と支援される人みたいなのがどうしても嫌なんですよ。それを何とか下に下に持って行こうっていう気持ちで、野宿したくなるのかもしれないです。ホームレスが集まるところに行って、話を聞いてもらう時もあります。こないだはパンあげたけど、今日は私の話聞いてくれる? みたいな関係性でいられるのがいいです。

─── 人と人、ですものね。幸子さんはどこまで行っても、人が好きなんでしょうね。

おせっかいおばさんにはなりたくないんですけど、気になっちゃう。毎年一度は必ず、四国の全避難者のお宅を車で回って直接会いに行って、お米を5キロずつ配っています。

でもね、夫もこちらで仕事を見つけて、今はこうして家族で愛媛で暮らしていますけど、私もいつかは福島に帰りたいと思ってるんです。うちの場所は避難解除も除染もされていないからまだ難しいですけれど、老後は福島で暮らせたらなって思います。だって、悔しいじゃないですか。こんなことが起こってしまって、最後まで見届けないといけないって思っています。

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澤上幸子
1975年愛媛県松山市生まれ。高校卒業後、地元百貨店に就職。海外に行きたいと思っていたところ、イスラエルのキブツ(共同村)へのボランティア派遣を知り参加。同じ派遣で来た夫と出会い、結婚後、夫の故郷・福島県双葉町で暮らす。家族以外誰も知らない土地に慣れようと、保育園で働くなどしてだんだん、町の暮らしを楽しむように。双子の出産後には、社会福祉協議会に勤務。小さな町の社協で、さまざまな業務を体験しやりがいを感じるも、社協での仕事中に東日本大震災に遭う。実家のある愛媛に避難し、広域避難者の生活相談に乗るうち、被災者支援のNPO法人「えひめ311」立ち上げメンバーとなり、事務局長として入職。全国電話相談「よりそいホットライン」を運営する(一社)社会的包摂サポートセンターの全国コーディネーターも務めるほか、防災への取り組みにも力を入れている。

NPO法人えひめ311 http://ehime311.official.jp/
よりそいホットライン https://www.since2011.net/yorisoi/

インタビュー日 2023年5月6日
取材・文・写真 塩本美紀

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