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広域避難者として戻った故郷で、「相談」を続けてきた自分に起こった変化

澤上幸子

NPO法人えひめ311事務局長
愛媛 松山

理事全員が広域避難者の、被災者支援NPOを立ち上げる

─── 当事者の幸子さんが、避難者支援に携わるきっかけは何だったんですか?

最初、避難者交流会をやりますというお知らせの手紙が届いたんです。石手寺というお寺のご住職が阪神淡路大震災の3年後くらいに、愛媛在住被災者の交流会をされたんですが、皆さんに「早くやってほしかった」と言われたそうなんです。それで今回は、避難者がいるかどうかもわからないけれど、とにかく声をかけてくださった。

その交流会が5月24日で、行ってみたら30人ぐらいいました。ご飯を食べて、自己紹介して……とにかくみなさん涙、涙、です。津波のこと、原発事故のこと、まだ身近な人の生死もわからない時期で、生き延びてやっとここに来たみたいな話を互いに聞くともなしにして。

月に1回その交流会で本当に救われたんです、私たち。お寺ということもあって、手を合わせる時間があり少なからず心を整えることもできました。でも泣いて泣いて半年ほど経つと、これは、ちょっとやそっとでは帰れないという現実的な話になっていきました。私は地元出身だし、社協で働いた経験もあったので、生活のことなどについて自然と話を聞くようになっていました。気がついたら、月の電話代がすごい金額になり、ご住職とも、生活相談ができる団体が必要なんじゃないかと話をするようになって。

それで、どうせやるなら理事は全員避難者のNPOを作ろうと立ち上げたのが「えひめ311」です。法人格を取ったのが9月11日でした。代表は南相馬の人で、私は事務局長になりました。

─── NPOにして法人格をとるって、ハードルが高くありませんでしたか?

愛媛でずっとNPOをやっていた先輩たちに励まされました、特に、NPO法人えひめグローバルネットワークの方にはお世話になりました。愛媛ってみんなすごく自転車を使うので放置自転車が課題なんですよ。えひめグローバルネットワークさんは行き場のなくなった放置自転車を預かり、アフリカのモザンビークで自転車をあげて武器を回収するという活動を長年やっていて。その方が、被災者の人も自転車必要なんじゃない?って私達を見つけてくれました。そこから、アドバイザー的な形で関わってくれるようになり、今事務所に使っているここの物件も貸してもらっています。倉庫にしているけど片付ければいいし、表通りで目立つところに場所を持った方がいいと。

でも最初は、助成金書いても落ちまくっていました。活動実績もないし、まだ広域避難の課題って認識されてなかったんですよね。だから法人格はとったけれど、月1回の交流会と、それまで個人的にやっていた生活相談が一応「仕事」になったという変化です。そこから広域避難者はだんだん増えて、2013年あたりからは東日本大震災支援全国ネットワーク(JCN)の全国広域避難者支援ミーティングが始まり、他県の団体とも交流するようになりました。

─── 愛媛で増えてきた広域避難者はどんな方々だったんですか?

住宅の条件面で探してきた人が大多数じゃないでしょうか。災害救助法で被災県以外でも仮設住宅扱いで民間のアパートなどを提供する仕組みがあったんですが、愛媛県は県独自の取り組みとして県営住宅や松山市の市営住宅の被災者への開放、民間からの住宅提供をともに無料で行うという決定をホームページで発信しました。震災から5年くらいまでが増え続けた時期で、一番多い時で300人くらい。5年経ったあたりで、元から避難してきていた人たちがドッと戻って行きました。

─── それは、被災地での高台、公営住宅整備などが進んだから?

それもありますが、避難先で疲れ果ててもう帰るしかないみたいな方も多かった……仕事がうまくいかないとか、子どもが学校に馴染めないとか。半分くらいはお父さんが福島や宮城で働いている母子避難の方でした。二重生活は負担が大きいけれど、自分たちの選択でしょうという見られ方をしてしまう。生活相談で、お金に関する相談も多かったです、そこが家族も含めいろんな不安定を生んでしまう。それから病気。震災の後に体調が悪くなって、精神的な疾患になってしまった人もいました。母子避難で体調が悪くなっても、母子の立場が弱く、家族の中で心ないことを言われてしまったり。そもそも愛媛に縁がないけれど来た、という方々が相当数だったと思うんです。

愛媛県はすごく頑張って、被災者住宅無料の制度を熊本地震の2年後の2018年まで続けたんですよ。2017年度末あたりで避難者が50人くらい、その多くは今も愛媛の中にとどまっています。2018年度が終わる時点で制度を利用していたのが5件くらい、自力で引っ越し先を探すことが難しい方々でしたので、県庁職員と一緒に訪問して相談に乗っていました。

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