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「いま、楢葉にいる」が、ずーっと続いている

西﨑芽衣

一般社団法人 ならはみらい
福島 楢葉

一人の人間が育つということは、できるだけ多くの人と関わるということ

─── 芽衣さんの中で“地域”というテーマがこんなに重要なのはなぜなんでしょうか。

私の親は転勤族だったので、子ども時代は“地域”なんてあまり意識せずに過ごしました。うちの家族は「家庭・学校・職場」しかコミュニティがなかったんですが、今私の中では「家庭・職場・地域」の三つを同じぐらいの重さで捉えていますね。大学時代にいろんな地域でいろんな人と関わったときに、これまでの狭いコミュニティの中にはいなかった人たちに出会えて、とにかくそれが面白かった。

例えばある地域の山奥に住んでいるおじさん。頭にタオル巻いて髪の毛はぐちゃぐちゃで歯もなくて(笑)、初対面ではびっくりしたんですけど、話してみると本当に物事をよく考えている方だったんです。記憶に残っている名言は特にないけど、話していて「俺はこう思う」って言われて、「なるほどー!」って思うことがとても多かったですね。会話の中で導かれたというか。それまでは私に何かを教えてくれる人って先生か親しかいなかったんですが、大学に入って初めていろんな大人に出会って、価値観がかなり変わりました。まわりからは「人が変わった」と言われるほどでした。昔の自分は親の価値観しか知らなかったので本当に面白くない人間だったなーって思います。例えば一番じゃないとダメとか、安定した仕事につくのがいいのか。そういう価値観をぶっ壊されたんですよね。ぶっ壊されてなかったらそれだけが幸せだと思い込んでたんだろうな……。一人の人間が育つということは、できるだけ多くの人と関わるっていうことなのかなと思います。

─── 昨年出産、今年仕事に復帰されて、芽衣さんにとってはどんな時間でしたか?

産休育休期間が本当にキツかったですね。仕事を含めたいろんな情報が自分の耳に入ってきたときに、「もっとこうしたらいいのになー」「こうしたいなー」と思うけどできない。それが辛くて仕方がなくて、生後2か月からちょっとずつ仕事をするようになって、6か月からは約3時間おきの授乳の間に仕事をしていました。少しでも仕事をしている方が安定するんです。周りの人に「母親も替わりがいない大切な仕事だよ」と言われて、頭ではわかってるんですけど、それでも仕事ができないのは苦しかったですね。乗り越えられたのは……、めちゃくちゃいろんな人の顔が浮かびます。夫は気持ちをわかってくれてサポートしててくれたし、娘も「ママじゃないとダメ!」ってならなかった。職場の人たちも私がいなくても物事が回っていくのに、「必要としているよ」と伝えてくれました。子どもが生まれたことで仕事のモチベーションが上がりました。「この子の故郷を作ってるんだよなー」という感覚が生まれて、この子が大きくなった時に誇れるような地域にしたいと思うようになりました。

─── 芽衣さんの今後の目標ってありますか。

目標は特にないですね。とにかく日々、納得して生きたいということでしょうか。自分が納得していれば何も怖いものはなくて、納得できてないと不安とか嫌悪とか嫌な気持ちがいっぱい出てきちゃう。自分と、自分の家族が納得できることは大切にしていますね。「なんでこれをするの? なんでこれを選ぶの?」というちょっとした違和感を残さない。そういう意味ではうちは結構ダルくて(笑)、「なんで選んだの? どう思ってるの?」っておもちゃ一つでも家族で話をします。

まちづくりに関しても、「楢葉がこうなったらいい」という目標はなくて、それぞれがそれぞれに「こうありたい」と語れる町であることが大事だと思っています。

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西﨑芽衣
1992年生まれ、東京都八王子市出身。「一般社団法人 ならはみらい」企画事業係。高校生のときに東日本大震災を経験。その後、京都の大学で阪神淡路大震災の被災地や新潟県中越地震の被災地で住民主体のまちづくりについて学ぶ。東日本大震災の被災地に通うボランティア団体を立ち上げ。4年生のときに1年間休学して「ならはみらい」の臨時職員として働く。復学後、東京の企業に内定をもらうが辞退し、2017年楢葉移住とともに「ならはみらい」で働き始める。「みんなの交流館 ならはCANvas」の企画、運営に関わる。2019年に結婚、2021年に娘を出産。

一般社団法人 ならはみらい https://narahamirai.com/
みんなの交流館 ならはCANvas https://naraha-canvas.com/

インタビュー日:2022年10月26日
取材・写真 鎌田千瑛美
構成・文 成影沙紀

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