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「いま、楢葉にいる」が、ずーっと続いている

西﨑芽衣

一般社団法人 ならはみらい
福島 楢葉

現場から抗えることがある

─── 楢葉の何が芽衣さんをそんなに引きつけるんでしょうか。

大学時代にフィールドワークで様々な地域と関わって、卒業後に暮らしたいと思った地域が他にもあったんです。阪神淡路大震災の被災地である神戸市と新潟県中越地震の被災地である新潟県小千谷(おぢや)市。でも神戸と新潟には私できることが見つけられませんでした。住民の自治力が強くて、自分で暮らすまちを自分達でつくるということが既に活発に行われていたんです。でも楢葉は全町避難からのまちづくりをもう一度始める状況で、私のような人が行ったとしてもできること、やりたいと思うことがありました。原発が立地している地域ならではなのか、人口が少なくても予算がある程度あって、「自分達自身が知恵を絞って自分達の力で地域を作っていく、経済的・文化的に発展させていく」という考えがあまり強くないように感じました。これが一番もったいないことだと感じていました。

─── その慣習って変えられるんでしょうか。

もちろん歯が立たないこともあります。でもやれる範囲でやっています。うちの会社は役場からの委託事業が多くて、町民の人と実際にやりとりをするような仕事をすることが多いんですが、現場で変えられることとか、現場から抗えることって結構あるんですよ。

例えば、入社して最初に担当した生活再建のコールセンター業務。楢葉に戻るための準備を進めている町民の方からの電話を受ける仕事で、リフォームしたい、ハウスクリーニングをしたい、家の周りの草刈りをしたいといった要望に対して業者に繋げたり、使える支援を紹介したりしていました。当時、東京電力さんが大型家具・家電の運び出しや草刈りなどを無償で行っていたのですが、ものすごい件数の電話がかかってくるんですよ。東京電力は加害者だからやるべきだ、やって当然だという考えで電話口で怒鳴ったり怒ったりしている人も多くて……。この事業を縮小していった方がいいと現場から訴えかけてきました。なぜかというと、いつまでもこの地域の人が被害者として加害者にやらせる、誰かにやってもらうということが続けば自分たちで立つ力がなくなってしまうからと感じていたからです。結果として今は徐々に受けられる条件を厳しくして縮小の方向に向かっています。役場の中にもそういうことが分かり合える人はいます。夫も役場職員ですし。彼とは一緒に仕事をしたときに大事にしているものが同じだなと感じました。あの仕事がなければ結婚してないですね。

─── ダンナさんってどんな人ですか?

うーん、一言で言うと「想像を超えてくる人」。まさかのことを言ってくる人で、とにかく面白いですね(笑)。「みんなの交流館 ならはCANvas」を企画するプロジェクトの役場担当者が夫で、一緒に仕事をしたんですが、具体的なアイディアは違っても「地域の人たちが自立をすること」という、根っこにある大事にしたいものが同じだったんです。夫の実家は津波で家が流されたという経験もしていて、彼を見ていると自分が生きていくことを人任せにできないなと思います。

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