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研究が縁で福島に暮らして11年。人間らしくなった自分が、前よりも好き

辺見珠美

一般社団法人とみおかプラス/川内盛り上げっ課
福島 富岡

原子力を研究していたリケジョ。震災後に福島へ

─── 現在、福島県双葉郡富岡町にあるまちづくり会社「一般社団法人とみおかプラス」の職員として、移住相談窓口を担当されていますね。震災から11年経った今、移住者の数は増えていますか?

そうですね、 震災後、福島に移住されてきた方には大きく分けて三つのケースがあって。まず原発作業員の方々。もう一つは復興支援に協力したいと移住された方々。そして最近は、富岡町を含む被災12市町村において移住支援金制度ができ、県外からの移住者の方がまた少し増えています。

現在の私の仕事は、そうした方々の住まいや仕事などの移住に関するご相談に乗ること。私自身が移住者なので、県外からの移住者の方の相談にのりやすいこともあり、やりがいを感じています。

─── ご自身は東京のご出身ですよね。

はい、生まれも育ちも東京です。大学ではエネルギーを、特に原子力を専門に勉強していたんです。

2011年3月はちょうど就職活動中で、東日本大震災が起きた日は、大手電力会社の就職試験を受けようと、エントリーシートを仕上げているところでした。提出締め切り日が3月12日だったんですよね。

ところが、3月11日に震災が起きて、原発が爆発して……。もう電力会社も新卒採用どころではなくなり、結局就職活動は頓挫してしまいました。

─── それは大変でしたね……。そもそも原子力を専攻されたきっかけはなんだったのですか?

それが、不純な動機というか……。エネルギーの学科の中にも太陽光や水素エンジンなど、色々とあるのですが、私はもともと温泉が好きで。だから、ラジウムやラドンなど放射能泉の物質を調べている先生の研究室が面白そうだと思って、原子力専攻の中の環境放射能を調べる研究室を選んだんです。

電力会社に就職したいと考えた理由も、女手一つで育ててくれた母に家を建ててあげたくて。大手電力会社ならきっとお給料がいいだろうからと、そんな気持ちでした。

─── だけど、あの事故が起きて。珠美さん自身の未来も崩れてしまったんですね。

最初は呆然として、しばらく何も手につきませんでした。ただ、ニュースで放射能の危険性について言及されたり、東京の水道水も危険だという噂が流れたりするのを聞くうちに、改めて、自分は放射能のことについてもっと深く理解しなくちゃと考えるようになりました。

自分が今すべきことはそれなんだ、と。

まずは大学の研究室で、福島から送られてくる放射性物質のついたサンプルの線量測定をすることに力を注いでいましたが、だんだん現地の状況を知りたい、福島に行きたいという気持ちが強くなって。2011年6月に、福島県における空間線量の測定と土壌採取のボランティアの要請が研究室に来たので、すぐに参加を決めたんです。

─── 実際に福島に行ってみて、気づいたことは?

私たちボランティアは毎日タクシーで福島県じゅうを周り、決められた区域の空間線量の測定と土壌採取をするんです。私の担当は飯館村でした。空間線量が比較的高い地区であることはすでにわかっていて、計画的避難区域に指定されていたものの、実際にはまだ避難が始まっておらず、民家には人が住んでいました。

調査で訪れた時、ご高齢の方が畑に木の苗を植えていらっしゃるのを見かけて。「何をされているのですか?」と聞いたら「もうここには帰れないから、避難する前に木の苗を植えて、畑を森に還すんだ」とおっしゃったんです。

その言葉を聞いたときに、「避難」とは、これまでの生活が全て奪われることなんだと、痛烈に実感しました。そして、やっぱり実際のことはこの地に足を運ばないとわからないんだと感じ、本格的に福島に住みたいと思うようになりました。

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