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みんなの想いが詰まった建物を生かして残し、この土地の景色を守っていく

豊田千晴

NPO法人中之作プロジェクト事務局/豊田設計事務所スタッフ
福島 いわき

悲壮感が漂う中で、何かおもしろいことやっていきたい

─── 千晴さんは震災前からいわき市で建築のお仕事をされていたんですね?

はい。2010年6月に豊田設計事務所の所長である夫と結婚して1年経たないうちに東日本大震災があったんですよ。震災後、所長は応急危険度判定という建物の崩壊などの危険度を示す仕事でほとんど外出していました。一方私は、転職、結婚、引っ越しと、自身が変化の中での震災だったので、訳も分からずに過ぎていました。普段の仕事や電話番もしなくてはいけないので、当時はほとんど事務所にいました。

─── 変化の中での震災……とても大変でしたね。NPO 法人の活動は震災がきっかけで始まったんですか?

はい。震災の2か月ほど前に、今は「清航館」になっている古民家の家主さんからリフォーム相談を受けていたんです。海のすぐそばだったので震災後どうなっているのかと気になって見に行ったら、津波の被害を受けていたものの、まだ直したらなんとか使えそうな状態でした。そこにいた方も避難して無事だと知って安心していたんですけど、その後2011年の夏に再訪したら、いわき市による解体の張り紙が貼ってあって。あの古民家が壊れてしまう……と、慌てて家主さんに連絡しました。

所長は「どうにかこの古民家を残したい、改修して住んでみたいと思うんだ」と口にして。私もこんなすてきな建物なのに解体されちゃうのはもったいないと思いました。そして、地元の区長さんや、家主さんにもお願いをしに行って、どうにか土地を譲り受けることができました。でも、この土地を買うのに新婚旅行用にと貯めていたお金を使いきってしまい、その時点で古民家を直すためのお金はほとんど残っていませんでした。

いろんな方々に相談した結果、この古民家は自分たちのためだけではなく、多くの方に利用してもらう公共の場になることで生かされるという気持ちが深まっていったんです。その後、運営母体として空き家再生のNPO法人を立ち上げることを見すえて助成金を申請し、採択していただくことができました。

─── 古民家の改修ワークショップもたくさん開催していましたよね?

そうですね。せっかく古民家を直すんだから、みんなで手作りすることを大事にして、昔ながらの直し方をしようと思いました。

2012年の夏には土壁作りのワークショップをしました。お子さん連れで来てくれた方もいたので原発事故の影響で地元の土を使うのに抵抗があり、石川県から土を提供していただけることになりました。藁を混ぜて発酵させて、素足で土を踏んで土作りをするんですよ。そうやって作っていく過程を見てもらいたくて。建物における構造的な耐久性とは全く違う視点なんだけど、みんなで作業することでみんなの想いが詰まっていく。すると、簡単には壊されにくい建物になるんですよね。津波があって一度は壊されかけたからこそ、そんな建物にしたかったんです。

─── 再生する過程に関わり、みんなの想いが詰まっていく建物って、素敵ですね。千晴さんが、一番大事にしていた想いって何ですか?

一番は、震災後の悲壮感が漂う中で、何かおもしろいことやっていきたいなという想いかな。こんなボロボロの古民家が直るのか……? という不安な気持ちも楽しんじゃおう! というのがあったかなと思います。

改修後には「清航館」と名付けレンタルスペースとして運営を始めましたが、最初は認知度も低くて誰にも借りてもらえなかったので、事業部という部活動を立ち上げて、2年間だけ集まった部員たちで写真展やライブを開催したり、講談師さんや落語家さんを呼んだりしました。イベントを毎月一回は開いて自分たちがまず楽しみながら、こういう使い方できますよというのを発信していったんです。

今は、お裁縫教室を開いているお母さんたちのサークル「ままや」さんが頻繁に活用してくれています。市内のお母さんたちが一年かけて作った吊るし雛を飾るお祭りを清航館で行って、今年は3,000人くらい来てくれました。

─── 3,000人!すごい! 「清航館」の次には、「月見亭」という建物を改修し始めたんですよね。それはどうやって始まったんですか?

2014年に「清航館」をオープンして「清航館まつり」という催しをやりました。その際、「清航館」のある中之作集落を探検しようと、ゴミ拾いしながら出かけてた先で見つけた空き家が今の「月見亭」です。細くて急な坂道を上って行くんですけど、家全体に蔦が絡まっていて、屋根の上にも木が覆いかぶさり、山と一体化して家自体が全然見えないくらいでした。車は通れず、重機ももちろん入れない。すごい大変な場所にあるけど、見晴らしがすごくよかったんです。

坂道を上るアプローチに物語があり、きれいに整備したらきっと素敵になるっていう予感がしていました。私は最初からカフェにできたらいいなと思っていて。2015年から周囲の木を倒すことと草刈りから始めて、家の中の荷物を出すためにバケツリレー形式のワークショップを何度も開いて改装したので、2019年にやっと完成したんですよ。図面を描いたり、内装でどう見せるかなどのプロデュースの部分をほとんど自分でやったので、人一倍愛着があります。途中の一年間、資金の目処が立たず何も出来なかった時期があって、外壁の防水シートを貼った状態で放置されていたから、地元の方の方に心配されていました(苦笑)。

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