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地域の足元を照らす。漁師だった父に与えられた使命だと思います

眞下美紀子

北三陸ファクトリー 取締役
岩手 洋野

次の世代に与え、ともに知恵をアップデートさせていく

─── 今はさまざまなお仕事をされていると思うんですが、その中で、美紀子さんが「コレ! これやりたかった!」と思うものってどんなお仕事ですか?

若い世代が輝いている姿を見ると、これ以上のものはないって思いますね。年なのかもしれないですけど(笑)。私は仕事を通じてたくさんのことを得てきたな、ありがたいなと思っているので、今度はちゃんと次世代に与えていきたいです。そうしないと、作りたい未来は作れない気がするんです。

─── 美紀子さんの「作りたい未来」ってなんでしょうか?

たとえば海の話をすると、先人たちは自然環境と自分たちの生活をうまく融合させてきました。そこに“知恵”があった。それを途絶えさせないためには、時代も社会も変わっているので、また新たな知恵を加えていかなければならない。それには私たち40代だけでもだめなんです。30代、20代、10代を巻き込んで、現代版にアップデートさせていく。それによって地域の人の心も暮らしも豊かになり、自然環境も整っていく。いわば持続可能な産業と地域をつくるということですね。

─── 具体的にはどんな取り組みをされているんでしょうか?

2019年に「北三陸うみの学校」という事業を行いました。想いをもった生産者が先生になり、地域の子どもたちに教える。ただ直接教えようとすると難しいので、大学生をインターンとして受け入れて、間をつなぐ翻訳者になってもらうという仕組みです。これは今、とても面白い方向に展開しています。一つは、インターンをした学生が大学を卒業して、今年の春からうちに就職してくれたことです。もう一つは、地元高校でのキャリア教育です。うみの学校に参加してもらおうと営業に行ったご縁から、授業の枠を1年間いただいて、地域で活動するさまざまな分野の社会人と高校生が対話する授業を行なっています。地域の子どもたちには、社会に出る前や進路を決める前に地元のことを知ってほしいと思っていたので、実現できて本当に嬉しいです。

─── 「社会に出る前に地元のことを知ってほしい」という想いのルーツはどこでしょうか?

18歳の、父の海難事故があったときからですね。あの時、恥ずかしさみたいなものを感じたんです。自分の住んでいる地域、もっと言えば一番近い大人である親の仕事のことさえ知らなかった。まずは足元を知った上で、どういう道を歩みたいかと考えるのが本質的だと思うんです。

ただ学校から「大学行け」と言われるから行く、なんとなく就職して「職場ってこんなもんか」と日々働く。そうやって過ごしている人は多いと感じます。たぶん、早い段階で「自分はどうありたいのかな」と、おぼろげながらもイメージしていた方が豊かな人生を歩めるんじゃないかな。イメージができていなくても、考え、もがくことが大事なんじゃないかなと思います。そういう気づきを与えることが私の使命です。

─── そう思うと、美紀子さんに使命を与えてくれたお父さんには感謝ですね。

そうですね。恥ずかしすぎて直接は伝えられないですが(笑)。私の地元高校での取り組みがテレビで取材された時に、父は広島の海にいたんですが、たまたま船の中で番組を見たらしくて。家に帰ってきたときに「出てたな」と一言。喜んでくれたみたいですね。

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眞下美紀子
まっか みきこ 1982年生まれ、岩手県洋野町生まれ。広告、飲食業界での仕事を経験したのち、2016年にUターンし、下苧坪之典氏が代表を務める洋野町の海産物問屋「ひろの屋」に転職。2019年には「ひろの屋」の子会社である「北三陸ファクトリー」の取締役に就任。プライベートではお酒(特にジン)好き。海外で飲んだベルギーのジンに惚れ込み輸入・販売もしてしまったりも……。

北三陸ファクトリー https://kitasanrikufactory.co.jp/

インタビュー日 2022年5月5日
取材・文・写真 成影沙紀

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