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地域の宝にもっといろんな角度から光を当てて、反射した光を世界中に送りたい

鈴木英里

東海新報 代表取締役
岩手 大船渡

責任を負うからこそ、できることが嬉しい

─── 少し前に、地域紙「東海新報」社の記者から代表取締役になられた英里さんですが、何か心境の変化はありましたか?

家業なので、いつかは継ぐという意識は幼いころからありました。記者として働いていた時は、東海新報が扱う気仙(けせん:陸前高田市、大船渡市、住田町)地方のなかでも当時担当していた陸前高田のためにという気持ちでやっていましたが、社長になり、もっと広い意味で、社会や地域、地元紙としての責任というものを強く自覚するようになりました。読者に対する責任、社会的な責任、社員を守る責任というものを、負わせてもらえるのはありがたいと感じています。

─── プレッシャーはなかったですか?

父が急逝したことで、想定していたよりも社長になるのが2、3年早かったなという感じはありました。でも、なるという事は決めていたから、覚悟はありましたね。責任を負うのも、重荷とは捉えていなくて。それを私が負える分、今までよりも社員に「もっと自由にやって大丈夫だよ」と言ってあげられる。社員の負担を分けてもらえるのは、経営者になれて良かったと思うところです。そういう立場になれたのは、すごく嬉しいですね。

─── 社員のことを信頼しているからですよね。

そうですね。特に若い世代には窮屈な思いはさせたくないですね。やりたいことをやらせてもらえる会社だと言ってもらえるようにしていきたいなと思っています。

─── のびのびと働ける環境を意識しているんですね。英里さんが日頃から社員のみなさんに伝えていることは何かありますか?

社員には「気仙の良い所を見つけてね」と伝えています。それから、「『読者のためになるかどうか』がすべてにおいての判断基準ですよ」と事あるごとに伝えているつもりです。「読者のためになることが、結局は自分たちのためになるんだから」と。

読者に喜んでもらえるか。読者のためになるか。その結果として、社員が豊かになるか。その三つぐらいしか、経営における判断基準はないですね。そこだけは、ぶらさないようにしています。

写真:本人提供

─── 社員や読者など、誰かのためにという考えは、以前から持っていたんですか?

大学卒業後は、東京で総合出版社に勤めていました。ハウジング誌やアニメ雑誌の編集部を経験し、とても楽しかったのですが、27歳の時に家庭の事情でUターンしました。帰ってきた最初は肩肘はっていたんですよね。自分は東京で働いていたという思いがあって。

大船渡は好きでもともと帰ってくるつもりだったので、嫌いだというのはなかったですよ。ただ、私は地元で何ができるんだろう? 何のために働くんだろう? とずっと手探りで明確な目標は当時なかったです。

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