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自分の体、自分の人生は自分で決めるもの。女性が前向きに生きられるように

大森美和

看護師・助産師/にじのわ助産院/NPO法人プロジェクトK 代表
宮城 気仙沼

自分に自信を持つ第一歩は、自分の心と体を知ること。それを伝えるのが今の私の役目。

─── 夢を追い続けてよかったですね! 派遣先のラオスではどのような活動をされていたのですか?

ビエンチャンの郊外にある町で、母子保健の活動を広める仕事をしていました。その町は15万人もの人が暮らしているのに、出産できる病院は一つしかなく、多くの女性は医療体制が整っていない自宅で出産をしていました。そのため、出産のリスクが高く、母子の死亡率も高かったのです。また、妊婦の健康管理も不十分だったので、出産前に破傷風の予防接種を受けるように呼びかけたり、産前産後の体のケアを指導したり、離乳食のアドバイスをしたりしました。ここでもやはり、女性が置かれている立場について、考えさせられました。

ラオスには任期の2年間を過ごし、帰国後は再び、訪問看護ステーションの仕事に戻りました。東日本大震災があったのは、そのときです。訪問看護ステーションは、私がボランティアをしていたNGOシェアとも関係が深く、シェアが行っていた被災地の支援活動に看護師の派遣を行っていました。行こうかどうか迷っていましたが、4月〜6月までは再びラオスに行く予定が入っていたので、まずはラオスに向かいました。ラオスでは、見知らぬ人達からも「日本は大丈夫なのか?」と心配の声をたくさんもらい、ラオスの人達でもこんなに心配してくれているのに、日本人である自分が行かないわけにはいかない。と強く思いました。帰国後年単位で活動できそうなところを探していたところ、シェアから「気仙沼で働いてみないか」と声をかけていただき、2012年1月に気仙沼に赴任することが決まりました。

─── 気仙沼ではどのような活動をされていたのですか?

現地で立ち上がった「NPO法人生活支援プロジェクトK」の活動を支援しました。気仙沼市階上(はしかみ)地区の仮設住宅や地域に暮らす高齢者の生活支援・コミュニティ支援が主な仕事です。私は看護師として、健康チェックをしたり、健康相談を受けながら、お年寄りの話を聞いたりしていました。

今の夫と出会ったのは、気仙沼に来てわりと早い時期のことでした。夫は気仙沼の出身で、自動車の整備士をしていました。プロジェクトKの副代表の友人で、手先が器用という理由で、仮設住宅で行うアンケート回収箱を作ってもらったのが、出会ったきっかけ。気仙沼にやって来たのは35歳のときでしたが、まさか気仙沼の人と結婚するとは(笑)。その後、2人の男の子の母親になりました。気仙沼の人と結婚したというのもあるけれど、別の場所で暮らすという選択はなかったですね。瓦礫だらけだったこの町が、どのように復興していくのか見届けたいという気持ちもあったからだと思います。

─── 気仙沼に残る決意をされたわけですね。

そうですね。またいつか海外で仕事をしたいという気持ちはありますが、今は気仙沼でやりたいことがたくさんあるので。

NGOシェアとしての活動は、当初の予定通り2014年3月に終了しました。この時点で、プロジェクトKの活動も終えるという話も出ていたのですが、一緒にやっていたパートナーとこのまま活動を続けていきたいと伝え、私はシェアの派遣からプロジェクトKの雇用に変わり、続けていくことにしました。しかし、その頃になると、町の復興が進んできて、仮設住宅からそれぞれの住まいに引っ越す人が増えてきました。すると、お年寄り一人ひとりの顔が見えにくくなり、またそれぞれの悩みも変わってきて、これまでと同じようなやり方で支援していくのが難しくなってきました。震災から年月が経つにつれて、助成金も減り、いよいよ行き詰まってしまったのです。

そんなときに、新たに思い浮かんだのが、子育て中のお母さん達のケアでした。公民館など広いスペースを借りて、日頃子育てで忙しく、自分の健康管理が後回しになってしまっているお母さん達に向けた「ママのくつろぎタイム」を開き、健康チェックや健康相談を受けることにしたのです。そこで見えてきたのは、子育て中のお母さんの生活は、子どもや同居している親の世話で忙しく、自分の体のケアができないだけでなく、自分の生き方を選択することさえできない状況にいる人がとても多いことでした。この地域は三世代同居が多いのですが、大人の手がたくさんあって助かっている反面、親の言動に傷ついている女性も少なくありません。自分らしく生きられないから、いつまで経っても自分に自信が持てない。そんなジレンマを抱えているお母さん達を元気づけ、一歩踏み出せるようにしてあげたいと思うようになりました。

また、一歩踏み出せずにいる根底には、自分の体について知る機会がないことが大きな要因になっていると感じました。女性の体は、初潮を迎えた後、女性ホルモンの作用で思春期、妊娠期、授乳期、更年期と、大きな変化があります。何かうまくいかないとき、やっぱり自分はダメなんだ……と思ってしまいがちですが、実はうまくいかないのは、月経の周期など体のメカニズムに原因があることも多いのです。こうした知識を知っていると、少し気持ちがラクになります。

─── 本当に、そうですね。

地域の小中学校に「いのちと性の話」を講演する活動を始めたのも、そんな思いからです。性教育の活動に関心を持つようになったのは、助産師学校の同級生が、埼玉県の小中学校で性教育を行っていて、その現場を見学させてもらったのが大きかったですね。気仙沼では性の話を人前でするのはタブーな感じで、人に聞きたくてもなかなか聞けないところがあります。でも、「ママのくつろぎタイム」にくるお母さん達もそうですが、生理の悩みや、避妊や不妊の悩みを抱えている人は意外と多くて、それに答えてあげたり、教えてあげたりする人が必要だと感じました。そして、そのような話を通して、「自分がどうしたいかを大事にしていいんだよ。あなたはあなたのままでいいんだよ。」というメッセージを伝えることで、お母さんたちの自己肯定感が少しでも上がっていけば、自分や育児にも自信がもてるし、それができるのが助産師だと思ったのです。

高齢者の支援活動を中心に行ってきたプロジェクトKが、なぜ性教育を? と思う人もいますが、私からすればすべてがつながっているんです。震災後、町はどんどん整備されていきましたが、人の心が前向きに変わっていかなければ、本当の復興とは言えません。従来の高齢者支援は続けつつ、この町に暮らす女性や子ども達が自信を持って生きていけるように、まずは自分の心と体を大切にすることを伝えていきたい。

─── 助産院を始めたこともそれにつながってくるわけですね?

そうです。でも、こちらは偶然の出会いが大きいですね。次男を出産した後、母乳のトラブルで悩んでいたときに、仙台で助産院をされている枝みどり先生という方が、月に1回のペースで気仙沼に出張相談に来ていて、相談に乗っていただいたのです。みどり先生は助産師のスタッフ教育もやっていて、助産師学校では習わない乳房ケアの知識や技術を教えてくれる講座があって、それを受講したら、ますます自分の体について知っておくことが大事だと気づかされました。気仙沼には助産院がなく、「それを伝えるのはあなたよ!」とみどり先生に勧められ、開業することにしたのです。

助産院の仕事とプロジェクトKの活動をあえて分けたのは、助産院では患者さんと一対一でじっくり関わりたかったから。一方、プロジェクトKで活動している性教育は、多くの人に広めたいという思いがあり、自分一人ではなく、仲間と一緒にやりたいと思ったからです。どちらにも共通して言えることは、自分の体について正しい知識を知り、自分を大切にしてほしいということです。そして、自分の体のこと、自分の人生は、自分で決めるものであることを伝えたいですね。

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大森美和
大分県別府市出身。兵庫県立看護大学(現・兵庫県立大学看護学部)卒業後、東京都内の大学病院外科・婦人科病棟に看護師として勤務。2003年、JPFイラク危機対応チームに看護師として参加。帰国後、埼玉県立大学短期大学助産学専攻科に入学し、助産師資格取得。葛飾赤十字産院で助産師として勤務したのち、2008年から青年海外協力隊助産師隊員として2年間、ラオスで母子保健活動を行う。2012年、東日本大震災の被災者支援を行うNGOシェアの派遣スタッフとして、気仙沼へ。現地のNPO法人生活支援プロジェクトKで地域の生活支援・健康支援を行う。現在は、「NPO法人プロジェクトK」(2020年改名)の代表理事となり、地域の健康支援を続けながら、新たに地域の小中高校生に「いのちと性のお話」を広める活動をしている。2020年に女性の体ケアと健康相談を行う「にじのわ助産院」を開業。2人の男の子の母。

●にじのわ助産院  https://www.にじのわ.com

インタビュー日 2021年5月6日
取材・文 石渡真由美
写真 志田ももこ

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