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子どもたちが大きくなったときも、安心して来られる場所、働ける場所にしたい

黍原里枝

一般社団法人三陸駒舎/かまめっちょの会代表
岩手 釜石

今度は誰かのための力になれたら、心に残る言葉

─── すごい! 自分からどんどん動いていますね。

でも、葛巻に住んでいたときは、なかなか自分を出せる感じじゃなかったんですよね。自分ができることって何もないなって、当時は思っていたんですけど、娘を産んでみると、その存在は私にとってはすごく大きくって。

私は結構人見知りなんですけど、娘がいると、ただ抱っこしているだけで周りの人から笑顔をもらったり、声をかけてもらえて。人との距離をグッと縮めてくれるから、助かっていました。子どもがいて苦しいって思っている人もいるかもしれないけど、私はすごくパワーをもらって。もっと子どもと一緒に楽しめることをやりたいなっていうのがあったから、子どもを産んだことはすごく転機だったんですよね。

子どもの存在が、いろいろ力をくれて、一歩進めたことが本当に大きかった。ここがなかったら、何か自分ができるってことも知らなかったし、できない自分のままで過ごしていただろうなって思います。

─── 娘さんの存在が大きかったんですね。ほかにも背中を押してくれた人はいますか?

「いわて子どもの森」の勤務が終わったときに、すごくお世話になった人のところに挨拶に行ったんです。ありがとうございましたって言った後に、なぜかわからないけど、すごいボロボロ泣けちゃって。昔、何かの講演会で、自分のことをどのくらい好きですか? みたいな質問があったんです。私は自分のことを好きっていう感覚がなかったから、他のスタッフや同僚とかが80%くらいあったことが、すごくショックだったんですよね。当時の話を、たまたまこのときお世話になった人に言ったら共感してくれて。

「だから、同じように自分のことが好きになれない人の力になれるんだよ。今度は誰かのための力になればいいんだからね。」って言ってくれたんですよね。

今実際に、誰かの力になれているかわからないですけど、そう言われたことがまだ心に残っています。自分のやりたいことが徐々にできるようになってくると、実現できる力があるって信じられるようになるし、自分がちょっとずつ上を向いていくんだなって感じていますね。

あとは、夫がやりたいことは何でもやってみればいいよって言ってくれる人で、私がやりたいことを止めないでくれるのも、ありがたいと思っています。自分の中では結構昔の自分を知ってるので、何か前に進んでるなっていうことはすごく感じています。人とのつながりも増えたし。

─── 今後、やっていきたいことってあります?

私の子ども時代は、学校って絶対的な存在だなと感じていました。学べる場所はそこしかない、その他の選択肢がある事を知らなかったんです。とても視野の狭い世界に生きていました。

でも、うちに来ている大人とかを見ると、学校に行ってないけど面白いことをいっぱいやってる人がいたりするんですよね。私が学生のときに、いつもビクビクして学校に通っていたときに、家と学校以外の世界を知れば、また違ったのかなと思ったりします。

障がいがあって三陸駒舎に来ている子たちは、18歳までっていう年齢制限があるんですね。その子たちが大きくなったときに、安心して来られる場所にしたいし、働ける場所にもしたいと思っています。私達大人も含めて、自分の好きや楽しいが仕事になって、周りに喜んでもらえる……そんなふうにつながれたらいいなあと思います。

狭い世界だけで終わらせて欲しくないというか、すごい広い世界があるので、ここをネットワークの一つとして、興味あることや面白い外部の人とつながる場にしていきたいですね。

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黍原里枝
きびはら りえ 1974年生まれ、岩手県釜石市出身。一般社団法人三陸駒舎。大学卒業後は、岩手県立児童館 いわて子どもの森などでの勤務を経て、東日本大震災をきっかけに、釜石市へ戻り、夫とともに一般社団法人三陸駒舎の事業に取り組んでいる。親子で楽しむ絵本活動、造形遊び、料理教室などを行う「かまめっちょの会」を主宰。好きなことは、台所で暮らすことやパンを作ること。馬を筆頭に、やぎ、犬、うさぎとともに暮らしている。

一般社団法人三陸駒舎 https://kamakoma.org/
かまめっちょの会 https://www.facebook.com/かまめっちょの会-1707396366235920/

インタビュー日 2021年6月16日
取材・文・写真 松浦朋子

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