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子どもたちが大きくなったときも、安心して来られる場所、働ける場所にしたい

黍原里枝

一般社団法人三陸駒舎/かまめっちょの会代表
岩手 釜石

児童館職員を経て、まさか自分が馬に関わるようになるとは

─── 里枝さんたちの三陸駒舎はホースセラピーを行なっていると聞いているんですが、具体的にはどういう団体なんですか?

夫と一緒に、馬を筆頭にした動物との関わりを通したセラピーを実施し、おもに障がい児の受け入れ事業をしています。未就学の子は、児童発達支援。小学生の子は放課後等デイサービスという形ですね。

児童発達支援では、保護者の方にお子さんを連れてきてもらって、乗馬だけじゃなくブラッシングや馬具をつけることなど含め、1時間くらい馬と一緒に活動してもらいます。

放課後等デイサービスは学童のような感じなので、基本私達が迎えに行って、子どもたちがここにある好きなものを選んで活動します。ずっとトランポリンをやってる子や、絵が書くのが好きな子、川に行って遊ぶ子など、様々です。スタッフが対応できる範囲で、子どもたちがやりたいことをやってみるって感じですね。

─── 里枝さんは釜石のご出身ですが、パートナーの豊さんとはどこで知り合ったんですか?

子ども時代は釜石で過ごして、大学時代は盛岡に住んでいました。大学卒業後、いろいろ働いたあとで、一戸町にある「岩手県立児童館 いわて子どもの森」オープニング時の職員募集に応募したら採用されて働き始めました。

夫はもともと、廃校を再利用した葛巻町のエコスクール「森と風のがっこう」の立ち上げメンバーでした。その後、私の職場の県立児童館のプログラム開発の担当者として一戸町に来ていたんです。再び、「森と風のがっこう」に戻るときに結婚することになり、私も仕事を辞めて一緒に葛巻町に移りました。

葛巻町に住んでいた時に、近所のおじいちゃんおばあちゃんが、牛とか動物の世話をしているイメージがあって。まさか自分が馬をやるとは想像してなかったですね(笑)。

─── そうなんですね。馬に関わるようになったのはなぜなんですか?

私が釜石市出身だったこともあり、東日本大震災が起きて、これからまちづくりが始まっていくタイミングで釜石に戻ってきました。まだその時、娘が1歳くらいで、私は市役所で臨時で働いたりしていました。

夫は釜石市の復興支援員枠で働くようになったんですけど、その関連で地域の団体さんがやっていた子どもたちの居場所づくりや学生のボランティア受け入れの活動などにも、関わらせてもらっていたんですね。当時は仮設住宅がいっぱいあって、子どもたちもそこで過ごしていたんですけど、周りの人を気にして大きい声も出せないとか、自分を素直に表現できない状況で。夫は、子どもたちが気持ちを抑えてるなっていうふうに感じたみたいです。

たまたま知り合いの方が馬の事業をされていて、仮設住宅に馬を連れてきた時に、子どもたちがとても元気になっていく様子を見て、大人が子どもの心のケアをするよりも、馬にやってもらった方が効果があると思ったそうなんです。その経験を通じて、本人も馬の活動をやると決めて、今につながっています。

夫は復興支援員をやりながら同時進行で、馬を使った活動の計画を立てたり、拠点を探したりしていたんですが、見つからなくて。復興支援を辞めて馬の事業だけでやっていくと決めた数日後に、現在の活動場所が見つかりました。そこから馬の活動を本格的に進めています。

多くのボランティアの方にお手伝いいただきながら、空き家の環境整備をし、改修していきました。このあたりは基本は夫がやると言ったことを、サポートする感じでやっています。最初は、本当に家族経営のような感じの小さな事業所だったので、力を合わせてやっていました。徐々に私自身もやりたいことが見えてきて、アイデアを夫に伝えて協力してもらったり、お互い助け合いながらやっている感じですね。

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