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離れてみて分かった登米の良さ。優しいおせっかいで成り立つ地域医療

名嘉原弥生

やまと訪問看護ステーション 看護師
宮城 登米

外の人が頑張ってくれているのに、私はここにいていいの?

─── 弥生さんはUターンで、今は登米市で訪問看護をされていますが、地元に戻ろうと思ったきっかけは?

祖父が癌になり入院したのですが、「俺はどこも悪くない!」と言って点滴を抜いてしまうような人で、これは病院にお世話になるのは難しいかもと思い、在宅医療を受けることになったんです。

ちょうどその頃、私は神奈川で訪問看護の仕事をしていて、「へぇ〜、登米でも在宅医療があるんだ〜」と興味を持ち調べてみたら、その「やまと在宅診療所」の院長が震災のときに医療支援をしたことがきっかけで、登米に開業された方だったんです。関東と行き来しながら登米のために頑張ってくれているのに、自分はここにいていいのだろうか?と、考えてしまいまして。すでに4人の子どもがいたのですが、移住するなら子どもがまだ小さい今のうちかなと思い、6年前に登米に戻り、やまと在宅診療所で働き始めました。

─── そもそもなぜ看護師になろうと思ったのですか?

もともとは陸上選手になりたくて、陸上が強い仙台の高校に進学したんです。でも、陸上でやっていくのはやっぱり厳しくて、将来を不安に感じていたときに、看護師だった叔母が「ちゃんと手に職をつけなさい」と看護師を勧めてきて、「じゃあやってみるか」みたいな感じで。卒業間近に決めたものだから、東京や仙台の学校はすでに募集を締め切っていて、なぜか秋田に行きました。就職は東京の大学病院に決まり、そこで9年間働きました。

大学病院の仕事は毎日がとても忙しく、家のことや育児は自営業の夫に任せっぱなし。あるとき、娘から「ママ、いらっしゃいませ」と言われ、すごくショックを受けて。このままではマズいと思い、働き方を変えようと思いました。

訪問看護に興味を持ったのもその頃です。病院は病気を治し、家に帰すことを第一と考えます。だけど、退院したものの、また病気が悪化し、再入院をくり返して、結局、最後は病院のベッドでお亡くなりになる方が多かったのです。そういうのをたくさん見ているうちに、それがその人たちにとって本当に良かったのかな、と疑問に思うようになって……。

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