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プランナーとしてエンターテインメントを社会課題とつなぎ、社会を変える力に
宮本英実
MUSUBU代表
福島 いわき
表現活動を通して、自分たちの好きなことをやる
─── 当時は東京にいたんですよね? 実家のいわきは大変な状況でしたか?
混沌とした状況で、仕事している場合じゃないなと思いました。
twitterで情報収集をしていた頃、いわきで支援活動をしていた末永早夏さんの存在を知り、東京で必要な物資を集めて、物資を配るためにいわきに戻りました。
地元で元々古着のリサイクルの活動していたNPO法人ザ・ピープルの倉庫に毎日のように支援物資が集まっていて、そこに仕事が休みになった若者たちが集まってきて。毎日が非日常な感覚でした。
地元の小名浜地区の仲間たちが炊き出しをしていたところに参加したのがきっかけで、末永さんとも直接会うことが出来ました。みんなで日向ぼっこしながら、何かあったら死ぬかもしれないし、好きなことやったらいいじゃん! というような会話をしていました。
そうこうしているうちにスーパーが開くようになったので、物資倉庫は閉め、小名浜にボランティアセンターを立ち上げるという話が出てきました。
その頃に意気投合していた末永さんと、「MUSUBU」という団体を立ち上げました。当初から、復興支援を目的とせず、自分たちの好きなことをしようと、活動を始めました。表現を通して、地域を面白くすることをしたかったんです。
─── 「好き」へ向かっていく英実さんの原点に立ち返ったんですね。
「MUSUBU」の活動を通して、アーティストを呼んでイベントをやったり、写真展や表現活動をしたり、アイデアをかたちにするための団体としてできる範囲でやり続けてきました。頑張ってやるものでもなかったですし、自分たちのためにやり始めて、つまらなくなったらやめようと言っていました。なので、自然体でここまできたんです。
活動する際に意識してきたのは、震災後の「ふくしま」が背負ってしまったものがたくさんある中で、基本的にはプラスのメッセージを発信すること。マイナスには偏らない一方、「問い」がある状態そのものを大事にしています。
例えば、過去のプロジェクトで、当時避難区域となっていた福島県富岡町の桜の名所の写真を移動展示する「桜の森 夜の森」というプロジェクトがありました。
当時、桜の季節になると「桜の木の下で防護服を着た人の写真」が出回ることが多くありました。その意図もわかるけれど、その風景は一部の切り取り方でしかなく。私たちの展示では、震災を経てもなお変わらず咲き続ける美しい桜と、誰もいない公園の写真を並べて展示するなど、見る側に「問い」を感じてもらえるものを意識しました。
─── 何年か前にニューヨークに滞在していた時期もありましたね。
30歳を目前に、私のやりたいことってなんだったんだっけ? とモヤモヤした時期がありました。
エンタメの仕事にもう一度チャレンジしたいと思って……。震災がなかったら海外に行こうと思っていたので、渡米しました。2年ほどNYを拠点に働いたのですが、震災を経験したことで、私自身が思うエンターテインメントについての考え方が変わっていたことに気がつきました。
─── どんなところが変わったんですか?
昔はただ音楽やエンタメそのものが好きで。私自身が影響を受けたように、エンターテインメントの力で、なにか変えられるものがあるということを信じていました。裏方として、圧倒的な才能のある人の夢を叶えたいという思いもありました。
しかし、現地でエンタメにふれてみると、「セレブ」と呼ばれるようなアーティストたちは当たり前に社会活動をしていることに気がつきました。無料の音楽フェスがたくさんあって、銀行がスポンサーについていて、規模感も社会へのアプローチの仕方も日本のエンタメとはまったく違う。アメリカにはすでにそういった文化がたくさんあることを見て、日本でも同じように社会課題へのつながりを、エンタメを通してつくるということをやりたいと思うようになりました。
─── 楽しいだけのエンタメではなく、社会にとってもっと意義あるエンタメのあり方を模索し始めたんですね。
そうですね。振り返ると震災後からすでにチャレンジしていたことだったんですが、ミュージシャンから東北のために何かできないかと言われて一緒にイベントを企画したり、アートプロジェクトをやったり……海外の現場を実際に体験したことで、これまでやってきたことの意義を確信に変えて、日本に戻ってこられました。私たちが変えられることもあるけど、圧倒的なスターの力でしか変えられないことも沢山あると思っていて。喜びによって救われる瞬間があることで、音楽の仕事の本質的な何かを感じる瞬間がたくさんありました。
─── エンタメによって笑顔がうまれ、人が救われる瞬間がある……と。
音楽って、表現する人自身の生きざまを示しているなって思うんです。私自身がやりたいことってそんなになくて。何かを届けたい、伝えたいというエネルギーに、私自身の想いも託しているような感覚です。
そういった意味も含め、エンターテインメントの可能性をめちゃくちゃ信じています。音楽やスポーツなど、何かに夢中になれることは、私自身が影響を受けたように、誰かの何かが変わるきっかけになるなと。
─── プロフェッショナルだからこそできること、の可能性を信じているんですね。
そうですね。その一方で、これまでのエンタメ業界では、社会に対して想いがあっても表現しづらい現実があったと思います。しがらみとか、政治的・思想的なことを発言しづらいとか……そんな空気感が、震災後に変わってきたと思います。社会に向けて活動するミュージシャンも多くなり、ここ数年で加速しているのを実感しています。
─── 社会が変わってきたと感じますね。英実さん自身が感じている問題はありますか?
社会課題とアーティストの活動をつなぐ仕組みや、絶妙なニュアンスを汲み取ることができるコーディネーターの存在が少ないなと感じています。
「MUSUBU」の活動を通して大事にしてきたのは、社会課題を重く捉えすぎず、「楽しい」をきっかけに関心をもてる仕掛けづくりでした。
動き続けたことで、想いでつながれる仲間がたくさんできました。その一方で、「地域」ならではの、しんどさも感じることがありますが。
─── 地域ならではのしがらみからくる生きづらさ……私自身も感じることが多々あります。
私は震災以降、いわき・東京の2拠点生活を続けているのですが、地域への「関わりしろ」を増やす役割を担っていると思います。ずっと住んでいないからこそ、地元を客観的に見る目を持って動けることを強みにして、価値にしていけたらと思っています。
─── 英実さんのなかで、様々な視点でのバランスが大事なのだと伝わってきます。
もっと自由に表現し、それを許容しあえる風土をつくっていきたいですね。多様な価値観が存在していることを、認め合える社会になったらいいなと願っています。
- 宮本英実
- 福島県いわき市小名浜出身。いわき市・東京を拠点に、企画・イベント・広報を軸にコミュニケーションを生み出すプランナー。音楽プロダクション、レコード会社、クリエイティブ事務所でマネジメント、宣伝・広報を経験後、フリーランスとして活動を開始。福祉、文化芸術、教育、スポーツなど幅広い分野をまたいで新たな価値創造をサポートする。東日本大震災後の2011年4月より地域活性化ユニットMUSUBUを始動。地域に新たな知見と体験を創出するプロジェクトを展開中。趣味は釣り、女子サッカー観戦。
MUSUBU http://musubu.me/
インタビュー日 2021年2月25日
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