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南三陸に思い出の栗園を復活させたい。栗から広がる大きな夢

大沼ほのか

大沼農園(果樹農園)
宮城 南三陸

ちょっと嫌いだった町が、今はとても好き。たくさんの人の支えがあって、今の私がある

─── 高校卒業後は?

県内の農業大学校に進学しました。入学試験の面接では、「南三陸で栗農園をやりたい」と堂々と言っていましたね(笑)。園芸学部の果樹専攻だったので、りんごやなし、もも、ぶどうなどいろいろな果物の栽培を学びました。でも、私がやりたいのは栗。果樹栽培には摘果という作業があって、実がなりすぎると、良質のものを得るために、間引きをするんです。でも、栗は生理的落果といって、自分で実を落とす能力があるんです。けれど、やはり人が手をかけてあげた方が、大きくておいしい栗ができるんですよ、2年生の時に、この栗の摘果試験をし、卒業論文にまとめました。その論文が宮城県の代表に選ばれて、東北大会まで行ったことがあります。

─── すごいですね!

その頃から栗のことしか考えていなかったんですよね(笑)。

卒業後は、南三陸で農園を始めました。農業大学校には、実家が農家という友達が半分くらいいましたが、ゼロから就農したのは私だけでした。幸い、私は1年生の時に農業研修でお世話になった南三陸の農家の阿部ご夫妻が応援してくれて、土地を貸していただけることになったんです。阿部さんのところはお米や野菜、りんごなどいろいろなものを作っていました。初めは栗1本でやっていきたいと思っていたのですが、それはリスクが大きいと言われて。いろいろなものを作っていれば、何かがダメだったときでも、生き残れる。だから柱はいっぱいあった方がいいとアドバイスをいただき、確かにその通りだな、と。

2019年4月に農園を始めて、まずは桃やぶどう、ブルーベリーなどを作りました。果樹栽培のいいところは、ハウスがいらないので、初期投資があまりかからないんですね。とはいえ、学校を卒業したばかりでお金がなく、栗を作りたくても作れない。そこで週1回クレープの移動販売でお金を貯め、さらにクラウドファンディングで50万円集めました。それで栗の苗や肥料を購入し、2年目にようやく植えることができたんです。

─── 南三陸は果樹栽培に適した土地なんですか?

桃は今年で3年目になりますが、毎年おいしい桃ができています。南三陸で果樹農園をされている方はいることはいるのですが、それほど多くはありません。でも、それは気候が合わないというわけではなく、単にやる人が少なかっただけのようですね。

─── いいところに目を付けましたね!

そうかもしれません。ただ、肝心の栗がうまく育っていなくて……。2年目に植えた苗木の成長が悪く、植え方が悪かったのか、栽培管理が悪かったのか、何が原因かが分からなくて、正直参っています。

─── 栗は育てるのが大変なんですか?

そんなことないんです。栗は農薬散布もいらないし、熊以外は害獣被害もなくて、どちらかというと育てやすいんです。それなのに、なぜかうまくいかなくて。普段から農業のことは阿部さんにアドバイスをもらっているのですが、阿部さんも栗の栽培はしたことがなくて、相談できる人がいないというのが、つらいですね。でも、「たかだか2年でなに弱音を吐いている?」とも思うし、なんとか頑張るしかない。

─── ほのかさんは強いですね。やはり、ご両親の影響が大きいのでしょうか?

それはないかな〜。父が養鶏を始め、母もクレープ屋を再開し、「好きなことをやっているご両親の背中を見て育ったから、ほのかさんも自分の道を進んでいけるんでしょうね」って、いろいろな人から言われるんですが、「私は両親に憧れているわけでもないし、自分で自分の道を選んだだけ」と否定したくなるんです。何なんでしょうね、この謎のプライドは(笑)。親には負けたくないって気持ちがあるんですよね。

私は三姉妹の真ん中で、4つ上の姉は大阪でクレープ屋の移動販売をやっていて(2021年から仙台で店舗オープン)、1つ下の妹は鳥取の大学で獣医学を学んでいて、将来は南三陸で牧場を経営したいと言っています。みんなそれぞれの場所で好きなことをやっている。でも、不思議なことに、卵や牛乳、栗、クレープって、共通点があるんですよね。みんな好きなことをやっているのに、なんだかんだいってつながっているというか。不思議な家族です(笑)。

─── ほのかさんが今、クレープの移動販売をやっているのは?

私は別にクレープがやりたいわけではないんです。でも、子どもの頃から母のクレープ屋の手伝いをしていたので、ノウハウを知っているというのと、クレープと自分の作っている農産物の相性がいいんですよね。だから今は、生活を支えるためにクレープの販売をしています。でも、私が本当にやりたいのは、ジェラートやケーキで、農園直営のカフェをやりたいんです。

でも、肝心の栗がうまく育たなくて、夢は遠い……。まさか成長する前段階でつまずくとは思っていなくて。だけど、周りにたくさん応援してくれる人がいるから、頑張ろう! って前向きになれます。

─── 南三陸に戻ってきてから、この町に対する思いは変わりましたか?

ずいぶん変わりましたね。子どもの頃はこの町の閉鎖的なところが嫌いで、早く出たいと思っていた。でも、震災があって、自分達ではどうにもできなくて、世界中からの支援やボランティアの方が来て助けてもらって、柔軟に変わらざるを得なくなったんですよね。いろいろな人が一気に入ってきたことで、多様性が認められるようになったというか、今はヘンなことを言っても怒られなくなって(笑)、すごく住みやすくなった。今はこの町が大好きです。

でも、なかにはやっぱり変われない人がいて、他の地域からやって来て、ここで何か新しいことをやろうという人に、過度な期待や注目をしてしまうんですよね。私は悪く言われたことはないけれど、SNSなどで若い人が頑張っていることに対して批判したり、悪口を書いたりしているのを見ると、嫌な気持ちになりますね。あ〜、まだ変わっていないんだなって。

─── ほのかさんは、外から来た人達とは交流はありますか?

ありますよ、友達もたくさんいます。地域おこし協力隊の人は任期があるので帰ってしまう人もいますが、なかには南三陸に移住して、何かを始めたいという人もいて。自分が生まれ育ったこの町を好きになってくれて、とても嬉しいです。もし、これからこの町で若い人が何かをやりたいと言ったら、絶対に応援したい。私自身、阿部さんご夫妻をはじめ、たくさんの人にお世話になっているし、どれだけ助けられたことかわかりません。だから、そういう人がいたら、大事にしたいです。 農園を始めて3年。まだ夢の途中ですが、今は頑張るしかありません。たくさんの人に助けられて、今があると思っています。だから、その人達のためにも頑張りたいんです。

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大沼ほのか
1998年、宮城県南三陸町歌津生まれ。小学6年生のときに震災に遭い、北海道に2年間避難生活をした後、南三陸に戻る。幼いときの栗拾いの思い出を復活させるべく、農業の道へ進む。2019年4月、南三陸町に果樹栽培を中心とした栗農園「大沼農園」をオープン。栽培をする傍ら、養鶏家の父が育てた自然卵と、自家農園のカボチャや桃などを使ったクレープを週1回移動販売で営業中。

大沼農園 https://www.facebook.com/大沼農園-340460540238095/

インタビュー日 2021年7月19日
取材・文 石渡真由美
写真 佐竹歩美

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