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誰もがそれぞれつらさを抱えているからこそ、手を伸ばしてつながっていきたい

宮﨑恵美

(一社)Mother Tree代表理事/NPO法人ReLink副代表理事
福島

ケアの本質は、つながり合うことなのだと気づけた

─── 母子支援の活動の場が、自然に大きくなっていったんですね。

はい、当時はサークル活動のような小さなものだったんですけどね。そして同時期に、念願だったグリーフケアにも関わるようになりました。大学を辞めて時間ができたので、グリーフケア養成講座に1年以上かけて通ったんです。その講座で、以前大学で隣の研究室にいらした佐藤利憲先生に再会して。佐藤先生は仙台でグリーフケアの拠点に関わっていらして、福島でも需要があるはずだから一緒にやりましょうということになりました。それがNPO法人ReLinkで、佐藤先生が代表です。

─── 母子支援も、グリーフケアも、目指していたことが一気につながって形になっていった。その流れはどこからきたと思いますか?

娘を亡くして以来、ずっといつかはグリーフケアの場所を作りたいと思ってきました。それが実現できたのも、「ポレポレ」でのお母さんたちとの出会いの中で、私自身が参加者のお母さんたちにエンパワーされてきたからなんです。個人の親子教室だった「ポレポレ」はその後、お母さんたちと任意団体になり、そこから現在の「一般社団法人Mother Tree」の活動へとつながっていきました。本当に、お母さんたちの力があってこそなんです。

─── 必要に感じる人がいて、周りの人たちの力も借ることで、少しずつ大きくなっていったんですね。

振り返ってみれば、NICUで看護師として働いていた時の私はどこかおごっていたんだなぁと思うんです。自分達が、赤ちゃんやご家族のために働いている、いいことをしてあげていると思っていた。でも本当は、一方通行の支援なんてなくて、お互いが支え合っていかないと成り立たないんですよね。そのことに気づかせてもらえたのも、利用してくれる皆さんのおかげ。今は感謝の気持ちの方が大きいです。

子育てって、家庭の数だけ色々あるから、「信頼できる人が、話を聞いてくれる場所がある」という安心感が必要なんですよね。どんな立場やバックグラウンドがあっても、私はその人を全力で肯定したいなと思っています。

─── これまでご自身もたくさん辛い経験をなさって、今は支援者としての活動をされています。疲れてしまうことはないですか?

これまで何度も大変な時期はありました。コロナ禍になって、対面で話を聞くという支援のベースが崩れて、もう活動を続けられないかなと思ったこともありました。でも、そういう時に限って、たくさんのお母さんたちから切実な相談が来たりもして。それで行政の子育て支援センターや地域のNPOさんとも関わりながら、相談事業を続けるなど、試行錯誤をしながらなんとか続けています。あとは、自分がしんどくなりすぎないようにプライベートを大切にすることを心がけています。

─── それは大事ですね。仕事を頑張りすぎてバーンアウトしてしわないよう、良いリラックス方法はありますか?

猫と遊んだり、美味しいものを食べてお酒を飲んだり(笑)。たわいもないことですが、プライベートの時間を意識して味わうことですかね。相談って24時間体制で終わりがないんです。困っている方全員に関わるなんて到底できません。

だからこそ、切り替えることが大切。そして、相手の人生は相手のものだと切り分ける冷静さも必要なのだと感じています。 それぞれみんな、自分の人生しか生きられない。だからこそ、自分が手を伸ばして、つながれた人のことは本当に大事にしたいと思っています。

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宮﨑恵美
1980年生まれ。福島県田村市出身。福島県立医科大学卒業後看護師として勤務。新生児看護や母乳育児支援に積極的に携わる。その後宮城大学看護学研究科を修了し、保健師として勤務したのち、小児看護学領域の助教授として大学に勤務。自らの子育てや仕事の経験から、家族支援や女性の社会参画支援を二本柱として一般社団法人Mother Tree(マザーツリー)を創立。ねうぼらふくしま「ポレポレ」としての産前産後支援、子育て支援のほか、相談事業などを行う。また、出産直後に娘を亡くした経験から、大切なひとを亡くした家族のための遺族支援団体NPO法人ReLinkを運営する。

一般社団法人マザーツリー https://www.mothertree.or.jp/

インタビュー日 2022年10月17日
取材・文 玉居子泰子
写真 林 まい

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