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帆を張る船のように。風を受け、相馬を行く

黒田夏貴

浜の台所 くぁせっと店長
福島 相馬

知らないことが多すぎた、“知って生きる人”になりたい

─── 「相馬地魚丼」おいしそうですね!

うちの店、「浜の台所 くぁせっと」の看板メニューです。相馬は遠洋漁業がないのでマグロなどは揚がりません。地魚はカレイとかヒラメなどの白身魚なんですね。白身魚は淡白なので、飽きのこない食べ方として、初めは醤油で、次に漬け丼のタレをかけて、最後は魚介の出汁をかけて出汁茶漬け風にして召し上がっていただくんです。今日の魚はヒラメ、サワラ、タラですね。タラは水分が多い魚なので、昆布締めにしています。ここで魚を下ろして締めているんですよ。お米、お味噌汁の味噌、ネギ、あおさも全部相馬産です。

─── お店のことを教えてください。

2020年10月に相馬市の“復興の総仕上げ”としてオープンした「浜の駅 松川浦」に入っている食堂です。食堂を経営しているのは、地元の旅館の社長と底曳網漁船の漁師が立ち上げた「株式会社そうま海拓丸」で、私もそこの社員として店長をやっています。

─── どんな方が働いているんですか?

社員、パートさん合わせて23人で、うち20人が女性です。「浜の人たちが元気に働ける場所にしたい」という想いがあったので、ほとんどが相馬の浜の人。漁師の奥さんだったり、漁師の家の娘だったり、昔から魚に親しんできた人たちです。こんなに女性が集まったらちょっとはドロドロするのかな、なんて心配していたんですが、本当にみなさん気持ちの良い方々で。ありがたいです。下は21歳から上は72歳まで。目上の方ばかりなので、私がわからないことやできないことは「お願いします!」って素直に頼っています。初めは恐縮していたのですが、恐縮してもできないことはできないので。

─── 黒田さんは茨城県出身ですよね。なぜ相馬に来ることになったんですか?

東日本大震災当時は地元・茨城県土浦市で美容師をしていました。2013年に体調を崩して美容師をやめ、せっかく時間ができたので好きなことをしよう、と音楽フェスに行ったんです。出演者の中に好きなアーティストがいたんですが、彼は震災後ずっと東北でのボランティアを続けていて、ステージでも東北のことを熱く語っていました。「そうだよなー、こっちでは普通の生活をしているけど、向こうはまだまだなんだよなー」と思いました。その後、自分で調べて宮城県の南三陸町へボランティアに行き、そこで知り合った友達が今度は相馬に行くと言うので、私も一緒に。初めて相馬に来たのが2014年の11月で、それからひと月に1〜2回のペースで相馬に通うようになりました。主な活動は、仮設住宅で生活している方々のためのイベントのお手伝いでした。

─── 移住を選択するほど、何が黒田さんを惹きつけたのでしょうか?

相馬に通ううち、だんだん、地元の友達と話が合わなくなっていきました。私は福島で見聞きしたことを話したいのに、みんなは聞いてくれない。茨城から相馬に行くときは大熊町や楢葉町を通るんです。当時は国道6号線が開通したばかりで、窓を開けちゃいけない区間があったり、家の前にバリケードが張られていたり。「おんなじ日本でこんなことが起こってるんだ!」って衝撃的でした。だけどみんなはそれ、興味ないんだ……っていう。

茨城県と福島県って隣なのに、知らないことが多すぎたんです。震災や原発事故、被災地のことを、「私は知らないで生きることはできるけど、知って生きる人になりたいな」って。なんかそのとき、すごく思いました。ボランティア活動をしていたNPO団体に「ここで働かせてもらえませんか?」とお願いしたら「いいよ〜」と快諾してもらって、2015年4月に移住しました。

─── 移住に当たって、不安はなかったのでしょうか?

よく聞かれるんですけど、一切なかったですね。当時は、貯金はほとんどない、お給料が良いわけでもない、家も決まってないっていう状態だったのに。たぶん……馬鹿なんだと思います(笑)。とりあえず来てみたらどうにかなるかなーって。

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