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多様な経験と大人たちとの出会いから、選択肢を広げて欲しい

稲村友紀

NPO法人アスイク 荒井児童館 館長
宮城 仙台

どんな境遇でも、大事なのは子ども一人ひとりに向き合うこと

─── 被災地と向き合うようになったのは、震災からどのくらい経ってからだったのでしょうか?

すでに5年が経っていました。

最初に携わったのは、宮城県石巻市雄勝町に拠点を置く公益社団法人MORIUMIUS(モリウミアス)です。雄勝の豊かな森と海と里で、自然とともに生きる暮らしを体験して欲しいと、廃校になった小学校を活用した複合体験施設です。

私は、子どもに向けた長期滞在型・週末の短期滞在型の体験プログラムの企画・運営を担当することになりました。宮城に戻ってきて思ったのは、自分が生まれ育った県にこんなにも豊かな自然があったんだ、こんなにも魅力的な人たちがいたんだ、という驚きでした。短い期間であっても、自然に触れ合い、地域の方々の暮らしをほんの少しでも体験するだけで、子ども達の表情や行動が変わっていくのを感じました。

─── その後、別のNPO法人にも関わるようになったそうですね。

モリウミアスに携わるようになって1年が過ぎた頃、モリウミアスの活動を続けながら、隣町の女川町で地元の子ども達の学習サポートもするようになりました。認定NPO法人カタリバが立ち上げた「女川向学館」という放課後学校で、震災直後、大きな悲しみを経験した被災地の子ども達が「震災があったから夢をあきらめた」ということが起こらないようにと始まった場所です。震災後、大人達は復旧や復興に忙しく、子ども達は十分な学習スペースや居場所がない中で過ごしていました。そんな子ども達が勉強できる居場所と学習サポートをしながら、心の内に秘めた声に耳を傾ける。親でも先生でもない大人だからできる関わりがあると実感しました。

─── モリウミアスの体験プログラム、女川向学館での学習支援サポートと2つの支援活動に携わったことで、友紀さんの中で何か心の変化はありましたか?

タンザニアに暮らしていたときも感じたことですが、「発展途上国だから」、「被災地の子ども達だから」という先入観をもつべきではないと思いました。どこに暮らしていても、どんな境遇でも、大事なのは子ども一人ひとりに向き合うこと。学生の頃は、教育の仕事に就くのなら教員になるしかないと思っていましたが、青年海外協力隊や被災地での活動を経験してみて、子どもの教育に関わるのは教員だけではない、多様な大人達と関わるなかで、将来にはさまざまな選択肢や生き方があるということを子ども達に伝えていきたいと思いました。

女川町では代々漁師という家が多く、子どもながらに自分はいずれ漁師になるんだなと思っている子が少なくありません。もちろん、はじめからそう望んでいることも尊いのですが、10代、20代でたくさんの大人達と出会い、いろいろな体験をした上で、「やっぱり漁師になる!」と自分で納得してその道に進んだ方がきっとやりがいを感じられるはずです。大人の私たちにできることは、人生にはいろいろな選択肢があることを知る機会をつくることだと思ったのです。そして、何をしたいか決めるのは自分自身なんだよ、と子ども達に伝えていきたいと思いました。

─── 被災地で6年間過ごした後、地元の仙台に戻られましたね。

雄勝も女川も大好きな町ですが、もう少し自分のできることを増やし活動範囲を広げてみたくなったんです。そんなときに、タイミングよく東北の開発教育を推進する仕事の募集をしていて、「これだ!」と思って飛び込んでみたんです。ところが、ちょうどその頃にコロナが流行り出して、東北全体の教育に関われると期待を膨らましていたところに思うように仕事ができず、見通しがもてなくなってしまい退職しました。その後に就いたのが、今の職場です。

─── 再び、NPO法人で仕事をすることになったんですね。

大きな組織で開発教育の仕事を半年間やってみて思ったのは、私は大きな組織で働くよりもNPO法人のような小さな組織の方が向いているな、と。コロナの影響が大きかったのですが、大きな組織で時間をかけて大きなことを成し遂げるよりも、自分の思いから小さくても動き出せる方が自分に合っているなと感じました。雄勝や女川で過ごした6年間は、何かやってみたいと思ったら「まずはやってみよう」と行動に起こすことができた。そういう職場の方が“自分らしさ”を出せることに改めて気づいたんです。

雄勝や女川にいたときは、まわりの人から「友紀ちゃん、友紀ちゃん!」って気軽に声をかけてくれて、それがとても居心地が良くて、安心して“自分らしさ”を出すことができた。今は再び自分らしさを確立しようとしている途中かもしれません。

─── これまでいろいろな職場を経験されてきましたが、振り返ってみてどんな感想をお持ちですか?

自分の思いのまま進んだ結果、今があると思っています。失敗もしたけれど、何もやらないでいるよりは、一歩を踏み出した方がいい。だって、失敗から学ぶことってたくさんあるから。だから、子ども達にも「自分が面白いと思ったことを面白いって言っていいんだよ」「やりたいことがあったらやってごらん」って背中を押すようにしています。

これまで、いろいろな形で子どもに携わってきましたが、これからも子どもに関する仕事を続けていきたいと思いは変わっていません。どんなことが自分にできるのだろう、どんなことを今やりたいのだろう、と自分の心に耳を当てながら、自分の人生を選択していきたい。そう思っています。

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稲村友紀
1989年生まれ。宮城県内の教育大学を卒業後、仙台市内の私立高校に教員として勤務。その後、自分の視野を広げるために青年海外協力隊に応募し、タンザニアへ派遣させる。期間中、現地の中等学校で数学を指導しながら、日本の小中学校との交流プログラムなどを実施した。帰国後は、出身である宮城の復興に教育という分野で貢献したいという思いが強まり、宮城県雄勝町に拠点を置く公益社団法人モリウミアスに参画。自然豊かな雄勝町の魅力をもっとたくさんに人に知ってもらおうと、小中学生を対象にした長期滞在型、週末の短期滞在型の体験プログラムの企画・開発・運営を担当する。その後、モリウミアスに籍を置きながら、NPO法人カタリバが運営する「女川向学館」で、地元の小中高生の学習支援に携わる。2021年より、現在の職場であるアスイクへ。仙台市内の生活困窮世帯に向けた中学生の学習支援・居場所づくりを行ってきた。新体操の指導者としての顔も(4月まで)。インタビュー後、2023年4月からは仙台市若林区の荒井児童館の館長に就任している。

NPO法人アスイク https://asuiku.org/
荒井児童館 https://araijidoukan.asuiku.org/

インタビュー日 2022年9月30日
取材・文 石渡真由美
写真 佐竹歩美

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