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多様な経験と大人たちとの出会いから、選択肢を広げて欲しい
稲村友紀
NPO法人アスイク 荒井児童館 館長
宮城 仙台
行ってみなきゃ、何も伝えられない
─── 友紀さんは仙台市で生活困窮世帯の子ども達に向けて学習支援をされてきましたが、もとは高校の先生だったそうですね。
そうなんです。中高時代、学校生活がとても楽しくて、その頃から将来は学校の先生になりたい、と思っていました。卒業後は県内の教育大学へ進学。まわりの友達はみんな教員を目指していたので、私も他の職業を選択するという考えもなく教員の道を選びました。就職先の私立高校は、家庭環境など様々な要因によって自分に自信がなかったり、勉強に対するモチベーションがもてない生徒も多く、自分に至らなさもあって生徒に寄り添った指導に難しさを感じていて……。自分が思い描いていた教員生活とはかけ離れているように思えたんです。
あるとき、総合的な学習の時間で、国際協力をテーマにした授業があったのですが、生徒たちに少しでも考えてもらえるような授業にしたいと、私なりにいろいろと調べて、下準備をしてから臨みました。しかし、生徒達の反応は期待していたものではなくて……。そのときに思ったんです。実際に発展途上国を訪れたことのない私が熱く語ってみたところで、生徒達に響くわけがないよな、って。国際協力に限らず、実体験をもって言葉で伝えることができればよいのですが、それができない。もっといろいろな経験を積んで、自分の言葉で語れる教員になろうと思ったんです。
─── ずいぶん思い切った決断をされましたね……。それで?
はい、それでJICA海外協力隊に応募し、タンザニアに行くことになりました。タンザニアはアフリカの東部の国で、「ライオンキング」の舞台になったといわれているところです。アフリカというと、ものすごい僻地を想像していたのですが、私が暮らした街は、仙台のような地方都市でした。派遣期間中は、現地の女子中等学校で数学の授業をサポートしていました。現地の教員と相談しながら授業内容を組み立てたり、教材の研究などを行ったり。また、日本の小中学校との交流プログラムを企画したりもしました。
タンザニアに暮らしてみて思ったのは、世界で途上国と言われている国の人たちは、決して貧しくてかわいそうではないということ。タンザニアに行く前は、「この国は貧しくて勉強がしたくてもできない子ども達がたくさんいる。それを助けてあげるのが私の役目」と漠然とした使命感を持って向かったのですが、発展途上の国でも勉強が嫌いな子はいるし、みんながみんな学ぶことに意欲的なわけではない(笑)。それよりも「家族と一緒に過ごしている方が幸せ」「今の暮らしが当たり前にあって大変とは思っていない」という子も多く、実際に行ってみないと分からないものだなぁ、と思いました。それ以来、「発展途上国の子だから大変そう」とか「貧しいからかわいそう」と、自分の勝手な思い込みで分かった気にならないようにしようと、自分に言い聞かせるようにしました。
─── 派遣期間が終わったら、次は何をしようと思っていたのですか?
タンザニアに行く前は、教員に戻るつもりでした。でも、タンザニアで暮らしていたときに、自分が宮城県の出身だと伝えると、たくさんのタンザニア人から「地震は大丈夫だったの?」「津波はどんな様子だった?」と心配されて。タンザニアの人たちから地震のことを聞かれても、震災当時、宮城にいたのに何も答えられない自分にもどかしさを感じていました。発展途上国を訪れたことがなかった私が、国際協力の授業をしたところで、生徒達に響かなかったように、被災地を見ていない私が宮城のことを語れない、そう思ったんです。そして、被災地で何か自分ができることはないか、と考えるようになりました。