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ないものは、今ないからこそ「作り放題」。まちづくりは熱量がいのち

種坂奈保子

デザイナー/まちづくり会社社員
岩手 陸前高田

人と会ってなんぼ。出会いがあって今がある

─── 奈保子さんといえばイベントをたくさん企画している印象ですが、もともとはデザイナーさんなんですか?

陸前高田の新しい中心市街地が楽しくなるようなイベントの企画や運営、それに伴う広報物のデザインをしています。最近は、まちなかに設置されたデジタルサイネージ用の広報物も制作しています。

大学でデザインを学んで、会社員時代もデザインの仕事をしていたので、その経験が今のまちづくりの活動にも生きていますね。

─── 出身地の愛知県から陸前高田に移住した当時は、仮設商店街に携わっていたんですよね?

はい。初めて高田に来たのは大学時代で、日本海側から太平洋側を周遊していた旅の途中に、「陸前高田けんか七夕」が気になって立ち寄りました。その時、出会った人にすごくよくしてもらって。震災後も、その人たちのことがずっと気になっていたんですよね。

震災当時は名古屋で働いていましたが、退職が決まっていたので、「今ならいける! 仕事もない! 若い!」って、まずは石巻にボランティアに行きました。行き来を繰り返すうちに貯金もなくなって……。移住して働こうと思いましたが、地元の人の職を奪うことはしたくなかった。そこでちょうど、外からの人材を募集していた「右腕プロジェクト」で仮設商店街を立ち上げるプロジェクトに応募して働くことが決まり、2011年の秋に陸前高田に移住しました。

─── 仮設商店街の「未来商店街」は立ち上げから始めたんですか?

そうですね。立ち上げの時の土地は、もうね、泥(笑)。グニグニした土地からコンテナのお店が4つできるまで進めました。

写真:本人提供

立ち上げを進めるうえでは、商店主さんと何回も何回も集まって、ずーっと話し合いました。意見を一つにまとめなきゃいけないけど、どうすればいいか分からなくて、いつもいつも考えて胃が痛くなっていました。

未来商店街はみんなで作る場所であって、私がやりたいことをする場所ではないじゃないですか。もちろん共感したからこそ「車輪になるぞ!」っていう想いはあったので、まずは人の話を聞くことだと思いました。

─── 具体的にはどんなことをしたんですか?

お世話になっていた橋勝商店(はしかつしょうてん・陸前高田市内の小売・惣菜店)の社長さんが、「みんなに話を聞いて、地域を知ることが大事」って教えてくれたんです。だから、お店でレジ打ちをして、地元の人や、お店の人と話したりしました。

未来商店街の商店主さんを知るために、一人ひとりにインタビューをしたこともあります。生い立ちや、今の状況とかですね。私が震災前を知る地元の人だったら、お店がここにあって、この方のお母さんはこんな人で、とか知っていると思うんですが、何も知らない。だから「教えてー! 全然知らなくて」って話をしていたのを覚えていますね。

─── 「あなたのことを知りたい、でも、分からないから教えて!」なんて言われたら協力せずにはいられないですよね。

未来商店街で一緒にやってきた皆さんは、今でも私を「種やん」って呼んで可愛がってくれます。結局、人なんですよね。

だんだん、新しくまちづくりに関わる人が増えてきて、同じようなことで悩んでいるなと思うんですよ。話してみると、「ああ、それって私が最初の頃、苦しかったやつだなぁ」と思って。

当時、悪いことは全てが自分のせいと、気が重くて眠れないこともありました。今こんなに楽観的になれたのは、自分が全てをまとめるという考えはやめようと思えたからですね。今まで違う生き方をして、それぞれに想いがあるのだから、当事者同士で話してもらうのも大事だなと思いました。

悩んでいる人には「当事者同士の問題だから気に病みすぎると他の仕事に影響が出ちゃう。大人だから大丈夫」と言っていますね。苦しくなるとつまんなくなっちゃうし。乗り越えたらまちづくりは楽しくなる、通過点かなって。そういう経験から図太くなったとは思います。苦しかったけど、精神的には鍛えられたし、乗り越えられましたね。

─── 奈保子さんの気づきは同じ悩みを持つ人の参考になりそうです。だからでしょうか、とても人脈が広いですよね?

高田に来た時は、知り合いがいないから必死だったんですよ。寂しすぎて、友達がほしくて、いろんな集まりに参加したり、会いたい人には会いに行きました。人と会ってなんぼ。出会いがあって今があります。

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