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「いま、楢葉にいる」が、ずーっと続いている
西﨑芽衣
一般社団法人 ならはみらい
福島 楢葉
未来への絶望を感じながら
─── 芽衣さんが新卒で「(一社)ならはみらい」に就職、楢葉に移住するまでのお話はたくさん取材されているので、あえて移住してからの5年間について聞いてみたいです。
どうだったんだろう……。そういえば2017年からの5年間については振り返ったり整理したりしてこなかったかもしれません。とにかくがむしゃらに走っていたらここまで来たというところがあって。楢葉に関わり始めたころには、結婚とか出産っていう変化は全く想像してませんでした。仕事も長く続けるようなイメージがあまりできていなかったんですが、「いま、楢葉にいる」みたいな状態がずーっと続いているような感じですね。2017年の決断がずっと積み重なっているというか。
─── 2017年の決断っていうのは?
学生時代にボランティアとして東日本大震災の被災地に関わるようになって、4年生のときに1年休学して「ならはみらい」の臨時職員として働きました。復学した後には就活をして東京の会社から内定をもらったんですが辞退して、コンビニのアルバイトでもいいからとにかく楢葉に移住しようと決めてこっちに来ました。当時は楢葉の避難指示解除から2年が経ち、最も復興のスピード感があったタイミングだったので、「楢葉で楢葉の人たちと時間を重ねること」が大事だと強く思ったんです。
だからと言って、「絶対に楢葉に骨を埋めよう」と決めているわけではないです。このまま暮らしていれば骨を埋めるのが自然の流れだということがわかっていながらも、違う選択肢がある可能性を自ら閉ざしたくないというか……。そう考えておくのは私にとってはいいことだと思っています。夫は楢葉出身の人ですが、彼も「一生ここにいなきゃ」というタイプではないですね。
─── とはいえ楢葉で、“外から来た若者がまちづくりをしている“と、楢葉の復興とか未来を背負い込みそうになりませんか……?
まちづくりの主人公は地元の方々だと思っているので、背負うという感覚はなかったですね。夫は地元出身の役場職員なので背負っていた時期もあったようですが、一生懸命仕事に取り組んでいても未来への絶望を感じることもあって苦しんでいました。背負いたかったら背負えばいいし、背負いたくなかったら背負わなくてもいい! と今は考えています。
─── 未来への絶望ってどういうことですか?
地域に関わる仕事をするということは、自分たちが暮らしていく町をつくるために一歩にも満たないような小さなことを積み重ねていくということ。日々、そんな地道な積み重ねをしているのに、ある日突然行政などの大きな権力に積み上げてきたものをザッと壊されてしまうことがあるんですよね。私も感じることがあります。子どもが生まれてからは特に教育の面でそう感じることが増えました。「地域のためにできる小さなことを住民自ら積み上げていく」という、自分が大切にしていることを脅かされると、ここ以外で暮らすという選択肢が浮かんでくることもあります。
じゃあなんでときに絶望を感じながらも楢葉に居続けてきたのかというと、「これをしたい、これを変えたい、関わり続けたい」と思うことが絶えなかったからなのかもしれません。今でも絶えません。