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生み出したいのは分断ではなく、楽しい暮らしと美しい森

渡部友紀

家具と家の「ラ・ビーダ」/行きつけの杜プロジェクト
福島 郡山

楽しいから、福島の森に人が集う

─── 福島に帰ったのは6年後ということですが、茨城での経験っていかがでしたか。

福島を出たとき、ある意味すごい肩の荷が降りたんです。福島にいるとどうしても「ラ・ビーダの奥さん」として見られる。「社長夫人でしょ」みたいな色がつくわけですよ、私自身に。それをどこか重荷に感じていたのだと思います。でも、私は私であり、“ラビーダの奥さんの渡部友紀”ではないという想いもあって。

茨城には私を知る人はほとんどいないので、“個の渡部友紀”として動けました。6年間でいろんなことを学べたし、見聞を深められたし、本当にたくさんのものを得られて、生まれ変わったというか。福島に帰る前には、「この6年間、友紀さんがどんなことを考えて暮らしてきたのか聞きたい」と言ってもらって、何か所かでお話をする機会をもらいました。「あぁ、これは私にとって茨城留学だったな!」って思いました。その視点がまたみんなに笑われましたけど(笑)。この6年間、支えてくれた仲間、そして夫に感謝です。

─── 福島に帰ってきてすぐに、三春の森をフィールドにした活動を始められたんですね?

当時、ラ・ビーダでは住宅事業をやっていて、土地の購入を検討していました。森を切り開いた造成地なのですが、土木的な事情からその下の土地もセットで買ってくれ、という話になったのです。夫から「この土地も買わなきゃいけないんだけどお金ない。友紀ちゃん、どうしよう」と相談されたんです(笑)。

最近は毎年のように、全国で川の氾濫や土砂崩れといった災害が起きていますよね。そういう社会問題に対して「どうせ自分は何もできない、他人事だ」って言っていられないなという感覚があって。そうやって諦めて過ごしてきたことの結果の一つが福島の原発事故ですし。また、茨城に避難して家を建てて暮らしているじいちゃんばあちゃんの話を聞くことがあったんですが、やっぱり「福島に帰りたい」っていう気持ちが強くあるんですね。そういう人のために気軽に帰れる場所をつくってあげたいと思っていました。この二つがつながって生まれたのが「行きつけの杜(もり)」プロジェクトです。人が集い、森についての知恵を学びながら、植林をしたり間伐をしたりして森を育てていく。土地代はクラウドファンディングで集めて購入しました。

─── 住宅地や田畑とは違って、山地は放射性物質で汚染された表土を剥ぎ取る「除染」をしていないエリアですよね。月日が経って自然に減衰した部分はあるものの、森の安全性が心配だなという気持ちと、森の魅力を伝えたいという気持ちは葛藤しませんか?

それこそ、茨城に避難していた6年の間は乳製品、お肉、魚も食べないっていう生活をしてきました。福島に帰ってきても最初のうちは気をつけてたんですけど、やっぱりおいしいんですよ、福島の食材は。おいしいの。自然災害、コロナ、戦争もある不安定な世の中で、私たちは明日死ぬかもしれない。明日死ぬかもしれないんだったら、おいしいものを「おいしいね」って楽しく食べることの方が大事だなって思って、今は全然気にしてないんです。

─── “楽しい”がキーワードなんですね。

そうですね。やっぱり「楽しそうだ、おいしそうだ」がなければ人は動きません。森の活動も、使命感でガチガチになっていたら参加したいとは思えない。ラ・ビーダの家具を販売している上でもそう。どんなに「日本の森のために国産材を使います」っていう理念があっても、「この家具が欲しいな、美しいな」って感じなければ人は行動を起こさない。考えるだけじゃダメ、行動を起こさないと何も変わらない。そして行動を起こすためには「楽しい」もとても大事。やっぱりね、しんどいのってやだよね。

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渡部友紀
わたべ ゆき 1973年生まれ、群馬県太田市出身。郡山市で97年続く家具店「ラ・ビーダ」の社長・渡部信一郎さんとの結婚を機に26歳で福島県に移住。23歳、20歳、14歳の娘の母。2018年から三春町にある2400坪の土地を利用した「行きつけの杜プロジェクト」をスタート。将来の夢は「ちょっと困ったよ、助けて」と気軽に頼ってもらえるような“そのへんのさもないおばちゃん”になること。

有限会社ラ・ビーダ http://www.lavida.co.jp/
行きつけの杜プロジェクト http://www.lavida.co.jp/miharu_vivo/

インタビュー日:2022年8月25日
取材・写真 鎌田千瑛美
構成・文 成影沙紀

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