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「あの時、しんどかったよね」背負った過去を手放して、自分らしく生きる

鎌田千瑛美

コミュニティ・コーディネーター/パートナーシップ・コンサルタント
福島×鎌倉

故郷を大切にしてこなかった罪悪感と喪失感

─── 千瑛美さんは東日本大震災直後、故郷の福島県に戻り、長く福島の復興に携わる仕事についていらっしゃいました。Uターンを決意した時のことを、教えてください。

2011年3月震災が起きて、南相馬市にあった実家も津波で被災しました。それまでは東京のIT企業に勤めていたのですが、ちょうど3月末で退職する予定だったんです。以前からつながりのあるNPO法人が震災の支援に入るという話を聞き、すぐ参加を決めました。

ただ、当時は放射能の問題もあり、外部から福島の支援にはなかなか入れない状態でした。1か月後に福島に戻ると、記憶のなかでの故郷の景色とは全く違った風景に愕然としました。

─── 大変な状況でしたか……。

はい、その時に、「ああ、故郷を失ってしまう」って思ったんですよね。

もっと言えば「私が故郷を大切にしてこなかったから、こんなことになってしまった」って思った。その時に、「私は一生この土地と向き合っていくんだ」という強い思いが込み上げてきたんです。「(故郷を失わないために)自分がなんとかしなければ」という使命感にかられ、スイッチが入りました。

─── それで、復興支援の仕事を本格的に行われたんですね?

最初は、東京にいながら福島県内外の方々や団体をつなぐコーディネートの仕事をフリーランスでしていましたが、12月に改めて、福島県の復興支援活動を中間支援組織としてサポートする団体の立ち上げに携わることを決め、福島に戻りました。

外部からの支援を現地のNPOに確実に届けられるよう支援組織のネットワーク構築をおこなったり、行政や企業に対して被災地が本当に必要としているニーズを伝えたりコーディネートする役割を担うなど、福島の外と中をつなぐ活動をしていました。とにかくその時々で「いま何が一番求められているのか」という問いに向き合い、必要に応じた仕事を3年間がむしゃらに続けていましたね。

─── 復興支援を行う中で難しかったこと、気づいたことは?

当時、私のプライベートでも、福島で暮らしていく葛藤を抱えていました。けれど、悩みや本音が話しにくかったりする雰囲気をどことなく感じていて、フラットに本音を話し合える場づくりの活動を始めたんです。同世代の女性たちとつながっていくうちに、福島で暮らす不安や葛藤を持っている人も少なくないということに気づきました。

─── どんな悩みが聞かれましたか?

東北の人って思いやりが強い人が多いんです。自分の思いは二の次で、大事な人を守ることや誰かを傷つけないことを優先する。

だから放射能の影響がどうなるか分からないことへの不安や、これから先の未来への漠然とした心配なども言えなかったり……。

それでも自分の想いを吐き出せる場所って必要だと私は思いました。お互いの本音を聞いて、自分の考えを持てば、きっと自分なりの道が見えてくるし、その道に向かって行動すれば、それぞれが幸せに近づけるはずだって。

葛藤があっても、自分で考えて行動していくことで、誰かのせいや社会のせいにせず、自分らしく生きられると、信じて活動を続けていました。

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