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幻の染料植物パステルを使った気仙沼ブルーで新しい地域経済を作りたい

藤村さやか

(株)インディゴ気仙沼 代表取締役
宮城 気仙沼

海外生活が原体験。いつも周りに手を差し伸べていきたい

─── はじめは、藍染工房を経営することにも乗り気でなかったのに、今や全国の大手寝具メーカーやアパレルメーカーの商品への染色受託をするまでに、成長されて。一体その行動力はどこからくるんですか?

私はいつも自分から「こうしたい!」と目標を立てるのではなく、半径1メートルの身近な方々の困りごとに対し、自分がどう手伝えるかな……と考えるタイプなんだと思います。課題を解決するために行動していくうちに、道が開いていくのかもしれませんね。こういう考え方は、幼少期にアメリカで育った体験がベースになっている気がします。

─── アメリカでの体験というと?

私たち家族が住んでいたデトロイトは当時は治安が悪く、銃撃事件も起きるような地域でした。アフリカン・アメリカンをはじめ有色人種への差別もあり、マジョリティーとマイノリティのヒエラルキーがある中でいろんな体験をしました。

ただ学校はさまざまな人種の友達や先生がいて、先生たちはとても広い目線で私たちに接してくださったんです。宗教上の慣習で食べるものが違ったり、祝日がバラバラであることも自然と学んでいきました。そして、誰か近くにいる人が何かしらの理由で生きづらいと感じるなら、自分には何ができるだろうって考えるようになったのだと思います。

─── それで今でも、周りの人の困りごとに目を向ける癖がついているんですね。

どうしたらもっと良くなるかを考える時には、社会のしくみを考えないといけないと思うようにもなりました。

例えば、私は東京で働けばお金が入る経済構造の中で仕事ができたけれど、地方に来れば、共働きであっても親世代と同居しないと生活費を賄えないような社会的な構造もまだ強く残っています。個人の努力が足りないとかではなく、社会のしくみとしての課題にも関われたらと考えるようになりました。

─── 今の気仙沼における課題はどういうところにあると思いますか?

気仙沼……というより地方のこれからの頑張りどころと捉えていますが、若いひとに”住み続けたい”と思われるような最低限のインフラを整えることですかね。具体的には、経済・医療・賃貸・交通・情報などにアクセスしやすいこと。「働く」に関しては一人ひとりポテンシャルがあっても、子育てや介護、同居の親や家業の従業員のお世話などがどうしても優先になってしまい、正社員のような働き方を希望できる環境にある人がまだまだ少ないと感じています。
しくみやその中のインフラが整うと、個人の頑張りだけに頼らない社会が出来上がっていくので、ひとりひとりの地域や家での役割負担が減るに従い、多様な働き方・暮らし方を選択できるようになっていくのではないかと。

いろいろな価値観・生活様式の方々が自分らしくのびのびと、地方で利益を生み出していけるしくみを作れたらいいなと思っています。

─── 具体的にはどんなプランが?

半径1mで言えばインディゴ気仙沼は、これまで廃棄していたパステルの根を使って、染色だけではなく食品も展開していく予定でいます。染色整理業・伝統工芸農業といった重労働だけでなく、食品の製造工程で軽作業が発生し、職を求める側からすれば、これまでよりインディゴ気仙沼と多様な関わり方ができるようになります。
また、視野を少し広げてみると、自社だけでなくこの土地で昔から活躍されている企業の方々とも協力しながら、地域全体で得意分野を持ち寄り、連携をとっていく経済活動ができればと思っています。一事業者が点ではなく面での動き方ができるようになると、より多くの方々が恩恵を受けられるシーンを創れる予感がしています。

─── 色々な計画があるんですね! これからのご活躍が楽しみです。

もちろん全部を一人でやるのではなく、周りの方の手を借りて、少しずつ東北に貢献できたらと思っています。 

私は結婚して、たまたま気仙沼にきたけれど、息子にとってはここが唯一無二の故郷。よく息子と話しているのですが、わたしたちはみんな、実は、自分で考え課題を解決していく力がある。だから、息子の故郷となったこの土地をどうやったらより暮らしやすくできるか──ひとびとが自分らしく生きていきやすい場所に変えていけるしくみ──を残していきたいと考えています。いまこの時代を生きる息子が、誇りに思ってくれるママでいたいな、そんなふうに思います。

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藤村さやか
1979年アメリカ生まれ。幼少期をミシガン州で過ごす。東京で仕事の傍ら始めた食のブログが話題になり、2008年「株式会社食レコ」を設立。フードライターのネットワークを活かし、食のPR事業を行う。たまたま訪れた宮城県気仙沼市での出会いから、結婚・出産を機に移住。震災後に支援の一環で始まっていた藍染工房を「インディゴ気仙沼」として生まれ変わらせ、フルタイムでは働くのがむずかしい働き手の仕事の場とする。100%天然インディゴによる染色受託、オリジナル商品の製造販売を手掛ける。新規事業として三陸の地の利を活かし、世界的に希少な染料植物パステルの栽培から商品作りに着手。

インディゴ気仙沼 ホームページ https://www.indigo-ksn.com/

インタビュー日 2022年7月4日
取材・文 玉居子泰子
写真 志田もも子

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