017

漁師ってカッコイイ! 20代のすべてを石巻に捧げました

島本幸奈

一般社団法人フィッシャーマン・ジャパン 事務局スタッフ
宮城 石巻


自然と向き合うときの漁師さんの姿、その感動が私を動かした

─── 幸奈さんは20歳のときに石巻に来て、そのまま10年住んでいるそうで。

はい、気づけば10年経ってしまいました。20代のすべてを石巻に捧げた感じですね(笑)。

─── そもそもきっかけは?

震災ボランティアです。当時、私は千葉の湾岸地区のホテルで、主にウエディングの仕事をしていました。震災があった日も結婚式を控えていて、準備に追われていました。震災直後、そのエリアでは液状化の被害があって、近くのテーマパークから避難してくる人がたくさんいました。その中には東北の方もいて、ニュースに流れる映像を観てとてもショックを受けていました。一方で、これまで時間をかけて準備をしてきた結婚式を中止にするわけにはいかないと、式は決行。ある宴会場では結婚式が行われ、ある宴会場は避難してきた人たちで溢れているという状態で……。とても複雑な気持ちでしたね。

その後、計画停電でホテルが営業できなくなり、1か月間自宅待機を命じられて。家にいてもやることがないし、だったら少しでも被災地の役に立ちたいと思い、石巻を拠点とする震災ボランティアに参加してみることにしたんです。現地では、瓦礫拾いや炊き出しをしました。2週間の予定で来たものの、現地の被害の大きさを目の当たりして、「まだまだできることがある」と思いました。勤めていたホテルが再開し、繁忙期のGWを控えていたこともあって一度は戻りましたが、すぐに帰ってくるつもりで荷物は置いていきました。すでに気持ちは固まっていたんです。

─── 戻って来てからはどうしたんですか?

長期滞在することを決めてからは、ボランティアの受け入れ業務を任されるようになりました。しばらくすると、復旧から復興へとフェーズが変わり、町の特産物をネットで販売する事業がスタートするので、それをやってみないかと声がかかりまして。ネット販売の仕事なんてしたことがなかったので、自分にできるのだろうか? という不安はありましたが、地域の人とつながれるし、この地域のおいしいものをもっといろんな人に知ってもらいたいという気持ちもあり、やってみることにしたんです。

はじめは醤油や味噌、サンマの加工品などからスタートし、徐々に漁港直送の海産物も扱うようになりました。それがきっかけで、ある日、漁師さんの船に乗せてもらうことになったんです。実際に漁の現場を見せてもらって、私たちがいつもおいしく食べている魚は、こうやって獲られ、こうやって届くんだ~! と、感動してしまって。何よりも自然と向き合うときの漁師さんの姿がとてもステキで。「漁師って、カッコイイ~!」と惚れ惚れしてしまったんです。

農業は学校の授業で野菜を育てたり、稲作体験をしたりする機会があるけれど、漁業はなかなか触れる機会がないですよね。触れる機会がないから、よく分からないし、知らないから将来の選択肢として上がってこない。もともと高齢化で担い手がいない中、震災で多くの漁師を亡くし、この町の漁師不足は深刻でした。

─── そうだったんですね……

そんなとき、大きな出会いがあったんです。現在所属するフィッシャーマン・ジャパンの代表である地元漁師の阿部勝太さんと、事務局長でIT企業に勤める長谷川琢也さんが、「日本の水産業を変える!」を合い言葉に、水産業の新たな担い手を増やすために担い手育成事業と生産者と消費者が繋がれる流通改革を起こそうとしていて。その団体立ち上げメンバーに入らないかと誘われたのです。漁師という職業の魅力をもっとたくさんの人に知ってもらいたいと思っていたので、これは面白くなるにちがいないと、ワクワクしましたね。

─── でも、実際はそんなにうまくいくものなのでしょうか?

やはり準備には時間がかかりましたね。まず受け入れ先の漁師を探すのに苦労しました。どこも人手は欲しいんです。でも、今まで家族や親戚だけでやってきたという人がほとんどだから、赤の他人、しかも技術もない人を通年雇うということに抵抗があるし、リスクもある。また、漁師を目指す人も、これまでやっていた仕事を辞め、住まいを変えるわけですから、お互い覚悟が必要なんです。もしかしたら、彼らの人生を狂わせてしまうかもしれない。最初の頃は、プレッシャーに押しつぶされそうになることもありました。

とにかく、自分達でできることをやろうと、地道に準備をしていきました。担い手が安心して暮らせるように、仲間の漁師が持っていた空き家をリノベーションしてシェアハウスにするなど、ハード面の整備も進めていきました。

受け入れは、はじめは仲間の漁師が担い、一人前の漁師に育てるためのサポートをしました。その様子を見て徐々にフィッシャーマン・ジャパンの考えに理解を示してくれる漁師や漁協が増えていった感じです。スタートから6年。これまで受け入れたのは45人で、そのうちの26人は今もこの町で漁師をしています。

─── わ~、そんなにたくさんの担い手が誕生したんですね! 幸奈さんは、この仕事のどんなところにやり甲斐を感じていますか?

私の仕事は両者の架け橋となって、それぞれに正確な情報を提供し、より良い提案をすること。どんなに熱く語っても、最終的に決めるのは漁師とそれを目指す担い手です。お互い覚悟を持って決めるので、やはりマッチングしたときは嬉しいですね。また、担い手が町に馴染んでいく様子や漁師として成長していく姿を見られるのも嬉しいです。なかには、この町にすっかり溶け込み、養殖の漁業権を取った人もいます。家族経営が多いこの業界で、よそからやってきた若者が、この地域の漁業権を得ることはとても難しいといわれています。

1 2