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気仙沼から全国へ! おいしいものを届けにあちこち飛び回りたい

佐藤春佳

お弁当・お惣菜 VOARLUZ(ボアラズ)代表
宮城 気仙沼

気仙沼もいいけど、たまに東京で首都高の車の音を聞くと癒やされるんです

─── お惣菜やお弁当の販売を始めたのはいつ頃になるのでしょうか?

震災の2年後です。お惣菜やお弁当を販売するには加工所が必要です。初めはお店を持ちたいと思っていたのですが、震災でそもそも物件がなくて。そこで、祖母の家の納屋を改装し、加工所にしました。そこで作ったお惣菜やお弁当を地元のスーパーマーケットや道の駅に置いてもらえることになって、毎日配達に行っています。

─── 震災の2年後ですと、まだお子さんも小さくて大変だったのでは?

次男を出産してすぐでしたので、今思うと無謀だったなと。夫とは別居していたし、実家の母は仕事をしていているのであまり頼れなくて。

でも祖母が孫の面倒を見ながら、おはぎやおこわ、漬物などの商品も作ってくれて。祖母のサポートがなければ、続けられなかったと思います。今は80歳を超えて、体力も落ちてきていますが、嫌な顔ひとつせず、率先してサポートしてくれています。

─── 今は従業員もいるそうですね。

祖母を含めて4人います。50代、60代、70代、80代とみなさん年上というか、人生の大先輩です。とてもいい人たちで助かっていますが、一方で雇用する側としての悩みもあって。1つ教えると、2つ忘れてしまうとか、オリジナリティーを出そうとしたりとか、ちょっとうまくいかないところもあって……。

ボランティアさんに畑の手伝いをしてもらっていたときもそうだったんですが、私、人に指示を出したり、お願いをしたりするのが苦手なんですよね。子どものときから、何でも自分でやっちゃう子だったので、人にやってもらうよりも、自分でやっちゃった方が早いって思ってしまうところがあって。

でも、現実は自分一人でなんてできっこないんです。もっと相手を信じて、頼らなきゃと思うんですけど、なかなかできない性格で。自分自身の大きな課題ですね。

─── なるほど、リーダーならではの悩みですね。では、どんなときに仕事のやりがいを感じますか?

すごく現実的な話になってしまうのですが、売り上げ目標をクリアしたときが一番やりがいを感じますね。この仕事って地味に大変で、朝の4〜5時くらいに作り始めて、できたおかずを箱に詰めて、自分で車を運転して配達して……って、全部やらなくてはいけないんです。

私、パソコン作業が苦手で、それこそはじめはまったくできなかったんですけど、スーパーや道の駅に卸すときに表示シールを作らなきゃいけないんですよね。そういうのも自分がやらなくちゃいけなくて。手間がかかっているぶん、全部売れたときは、喜びもひとしお。

─── 事業を始めて8年になりますが、お子さんも大きくなったのでは?

男の子2人なんですけど、上は12歳、下は9歳になりました。2人とも小さいときから相撲をやっていて、お兄ちゃんは今年の4月から本格的に相撲をやるために、千葉の中学校に進学します。中学を卒業したら相撲部屋に入る予定です。

下の子も相撲をやっていて、全国大会でも頑張っていました。弟も相撲部屋に興味があるようです。

─── 二人とも早いうちからやりたいことが決まっているんですね。このあたり、中学卒業後に役者を目指した春佳さんに似ているのでは?

ははは、そうかもしれませんね(笑)。そのときどき、やりたいことは変わるけど。

─── 春佳さんは、これからやりたいことはありますか?

これまでは地域の人に向けて、お惣菜・お弁当の販売をやってきたけれど、今後は県外にも広げていけたらと思っています。というのも、実はコロナがあってから、いろいろなお店がお弁当を始めるようになって、お弁当の売り上げが落ちてしまって……。何か別のものもやっていかないとなぁ〜、と思っていまして。そこで、漬物に目を付けたんですよ。

─── 漬物!?

長男がお世話になっている親方は海外の方なのですが、日本に来て一番感動したのは、漬物の種類の多さだって言うんですよ。親方の地元にも漬物はあるそうですが塩でガチガチになったもので、いわゆる保存食としての役割が大きくて、おいしさはそこまで追求していないらしく。へぇ〜、日本の漬物はそんなにすごいんだぁ〜と知って、漬物で勝負してみたくなったんですよね。漬物なら日持ちするし、全国で販売することができる。まずは東京から広めていきたいと、夢はどんどん大きくなっています。

─── 気仙沼の外に出たいということですか?

う〜ん……、実を言いますとね、気仙沼にずっといると息が詰まってしまうんですよ。やっぱりこっちは田舎だから、世界が狭いんですよね。震災でボランティアの人たちがいっぱい入ってきて、ずいぶん変わりましたが、それでもやっぱりよそ者を受け入れないところがあって。

畑の手伝いをボランティアさんにお願いしていたときは、うちに泊めていたのですが、よく思われなかったりして。あと、人の噂話が好きなんですよね。最近はあまりないけど、私はシングルマザーなのですが、そういう人は噂話のネタになりやすくて。

だから、ときどきここ以外のどこかに行きたくなるんです。実はおととしまで東京にアパートを借りたままで、地元の山に落ちている数珠玉という草の実で作ったアクセサリーや自家製ジャムを復興イベントや「アースデイ東京」などに出店していて、結構行き来をしていたんです。

アパートの窓を開けると、首都高の車の音が聞こえるんですが、気仙沼に暮らしているとその音がとても心地よくて(笑)。今はコロナであまり行き来はできませんが、息子も千葉に行くし、今後は東京やその他の街に行く機会を増やしていきたいですね。

会社名のVOARLUZ(ボアラズ)は、ポルトガルで“飛んでいる光”という意味なんですが、私もいろいろな街を飛び回って、光を照らせたらいいなと思って。

─── そういう意味が込められているんですね。でも、暮らすのは気仙沼?

窮屈なところはありますけど、なんだかんだいって気仙沼が好きなんですよね。気仙沼の最大の魅力は、自然が豊かなこと。フカヒレやメカジキなど、おいしいものが食べられるのは、海の町の特権ですね。

あと、気仙沼の女性って、本当によく働くんですよ。そんな女性の強さも、この町の魅力の一つです。今後は気仙沼を拠点にしながら、あちこち飛び回りたいです。

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佐藤春佳
1986年生まれ、宮城県気仙沼市出身。中学卒業後、役者を目指し単身で東京へ。里帰り出産で気仙沼に戻っていたときに震災に遭う。震災後は“食”に関心を持ち、耕作放棄地で作物を育てながら、お惣菜とお弁当の製造販売を始める。今後は漬物などの加工品を中心に、全国販売を計画中。2人の男の子のお母さん。

VOARLUZ(ボアラズ) https://www.facebook.com/VoarLuz/

インタビュー日 2021年8月2日
取材・構成・ライター 石渡真由美
写真 志田ももこ

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