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あれから10年、「仲間と一緒にやりたい」と思うわたしがいる

佐藤美代子

助産師/まんまるママいわて代表理事
岩手・花巻

板林恵

沿岸の妊産婦さんたちが大変!

─── 今日はよろしくお願いします。今は、忙しい時期なんですか?
うん、忙しいというか、来年の事業予算のことを考えなくちゃいけない、ちょっとストレスフルな時期です。コロナがまた広がった場合の対策も考えたり。なかなか落ち着かない。

─── 美代子さんが代表を務めている「まんまるママいわて」は花巻市に加え、釜石市と北上市の産後ケア事業の委託を受けているんですよね。今や、岩手県内で大きく活動が広がっているけれど、このインタビューでは、これまでに美代子さんの中で起こった変化のことを聞いていきたくて。少し前のことから聞いてみたいんですけど。ちょうど10年前って、何をしていたんですか?
今から10年前だと、2人目を産んで4週目くらいかな。県立病院の職員を辞めて、すでに自宅で個人助産院の看板をあげていました。将来は分娩も扱える助産院をしたいなあと思いながら岩手県ではなかなか難しく、まだ子どもも小さいし、保健センターの赤ちゃん訪問の仕事と産婦人科でのパートをしながら地固めというか、地域でつながりを作り出していた頃ですね。

─── そして、年明けの3月に、東日本大震災が。
そう。花巻は内陸だったから、沿岸の様子がなかなかわからないなか、以前に久慈の病院で働いていたこともあり、医療関係の知人からメールでどんどん細切れの情報が来るんです。助け出されて避難する妊産婦さんたちが劣悪な環境に置かれてしまうって、体育館に避難しなくてはいけない産婦さんの情報が流れてきたりしました。内陸で受け入れなきゃ大変だ、なんとかしなくちゃ、盛岡の人たちは動き出した、さあ、花巻の私はどうしようと。自分は医療者だという強い自覚があったし、ちょうど自分も乳幼児を抱えて人ごとじゃなかったんですよね。

─── それで、どうしたんですか?
とにかく情報収集。人を辿って。そうしたら、知人が3/23に「はなネット」という花巻のNPOのネットワークが支援活動についてのミーティングをするから顔を出してみてはどうかと教えてくれて。訳も分からず、乳飲み子をおんぶして上の子の手を引いて、夜の会合だけど出かけていったわけです。で、沿岸の妊産婦さんたちが大変なんですって話をしたら、みんな賛同してくれて、花巻での被災妊産婦受け入れ事業が立ち上がりました。様々なご縁をめぐって花巻市にある健考館アネックスという施設のオーナーが協力してくださって、4月から8月にかけて7組の妊産婦さんファミリーを受け入れしました。

写真:下平桃子

─── そこで、今につながる活動が始まったんですね
うーん、でもこれはあくまで、地域3団体の協働事業という形でした。私は自分の仕事も4月には始まっていた一方、「やらなきゃ」の一心でほぼ毎日夕方になれば健考館に行って活動するし、毎日夜中までじゃんじゃんメールも来る。だけど、少しずつ「なぜあながたがやるの?」「会長でもないのに」みたいな空気も出てきて。

─── ああ……
8/15に健考館から最後の方が退所するときには、心身ともに疲れ切ってました。

─── 自分から動いたときにそれだとね……そこから、どうして団体を立ち上げるに至ったの?
岩手から離れたのが良かった、のかな。9月頭に東京都の助産師さんが関わっていた復興支援プロジェクトの一環で研修に呼んでくれて。同じように、震災後に頑張っていた東北の助産師さんたちと一緒にホテルに泊まって、学びの場ではあったけど労ってくれたんですよね。慰安。東北のほかの地域の助産師さんたちとも交流して「私たち、がんばろうよ」みたいな気持ちになれて、一緒に行った仲間の助産師さんと構想が固まったわけです。よし、団体作ろうって、9/3ですね。一番最初は、「いわて助産師による復興支援まんまる」って名乗りました。

─── はやい!
健考館から沿岸に帰っていくお母さんたち見送りながら、乳幼児を抱えて慣れない仮設暮らしはきっと大変だとわかっていたから、心が痛かったんですよね。「話ができる場所を作らないと」と始めたのが、沿岸でのママサロン活動でした。

─── 団体を作ったことで、まわりとの関係に変化はありました?
お互い直に声をかけやすくなったことかな。沿岸の被災地にいた助産師さんたちも、周りの状況を見てヤキモキしたり打ちのめされたりしていたけれど、病院の助産師さんは兼業してはいけない。だから、まんまるがサロン活動に行くとなると、声をかけてくれたりして。私も、「団体としてやっているから」と言いやすくなったし。全国助産師会からの支えもあって、とにかく目の前のお母さんたちをケアしなくちゃと久慈、宮古、釜石、縁のあるところ、ゆかりのあるところに日帰りで出かけていましたね。

写真提供:桑原慎一氏
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