083

職場はまるで拡張家族。「こんな会社あるんだ」って若者が町に戻ってくれたら

安藤仁美

映像デザイン制作会社はなぶさ プロデューサー
宮城 南三陸

偶然始まった南三陸町との縁で、すっかり東北の人に

─── 仁美さんは、旦那さんが立ち上げた映像デザイン制作会社のプロデューサーということなんですが、具体的にはどんなことを?

お客さんと話して、制作物の方向性を決めるいわゆるディレクションをやっています。あと、弊社が一番得意な動画にあたってはシナリオを書いたり、カメラのこちら側でインタビュアーの役もします。自分は制作に関して手を動かすことはないので、本当に撮影・編集以外のほとんどみたいなところですね。

─── 愛媛の出身だけど、すっかり南三陸町に根付いていますよね。

そうなんですよ。まさか、こんなに根付くとは、本当にこうなるんだなって感じです。移住する時に親にすごい反対されて、「もう東北の人になっちゃうの!?」とまで言われたんですけど、その時は「まだわかんないから」って言ってたのが、あれよあれよと(笑)。流されるままにですが、子育てを始めるともうすっかりですね。

─── いつから南三陸町に? 

大学卒業が2011年3月だったんですが、内定取り消しにあってしまったんです。4月からすることがなかったので、南三陸にボランティアに来たんですよね。つなプロ、正式には「被災者をNPOとつないで支える合同プロジェクト」っていうプロジェクトに参加しました。避難所を訪ねて、「困ったことはないですか」と御用聞きをして、スペシャルニーズを専門の団体につなぐ活動です。

─── 仁美さんは、つなプロではどのくらいの期間活動したんですか?

半年ぐらいでしたね。その後、大阪に帰って就職活動していたら、東京の大正大学が南三陸町に研修拠点を立ち上げるので、いつでも東北に行ける若い人を探していると。それでお声がかかりまして、大学の職員になりました。ゆるキャラ「オクトパスくん」の仕掛け人の阿部忠義さんが南三陸町での大正大学のパートナーで、忠義さんと一緒にやれるプロジェクトだったら面白いだろうなと思ったんです。

研修拠点の名前は、南三陸町入谷(いりや)の宿で「いりやど」。1年目はまだ建物もできていなかったので、学生を東京から被災地に連れていくボランティアツアーを企画して、2年目からは、「いりやど」に1年の3分の1ぐらい滞在しながらプログラムを作ったり、学生受け入れをしたりしていました。

─── なるほど、じゃあ南三陸町に住むようになったのは、少し後なんですね。

そうですね。大学職員の任期が3年だったので、2014年度末に任期満了になり、2015年4月に「いりやど」側の職員になって移住してきました。いりやどは「まなびの里作り」をうたい入谷の地域作りに重きを置いていて、普通の宿泊施設とも研修施設ともちょっと違う。忠義さんが、思いついたらやれやれみたいな感じの人だから、入谷に関わることがどんどん入ってくるんですよね、そういう中でやるのは面白かったです。未来を作る人を育むっていうのが、当時いりやどに入ったメンバーで考えたミッションでした。学生の学びにつなげるために、いろんな人を見つけては体験の受け入れをお願いしていました。歴史や民俗学的なお話をしてくれそうな人や、実際に被災した方で体験を語ってくださる人など、自然と人脈が増えていきました。

─── その間に結婚もしましたよね? いりやどでは何年働いたんですか?

2016年の秋に、入谷の古民家施設「ひころの里」で地域の方達に見守られて結婚式をしました。いりやどは産休育休も含めて5年です。2020年にコロナでバタバタバタっとお客さんがキャンセルになった頃に、2人目の妊娠がわかって退職しました。

1 2 3