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東北の町に暮らす女性たちの悩みに、ひとつひとつ、ただ、向き合っていきたい
栗林美知子
NPO法人ウィメンズアイ理事、南三陸所長/パン・菓子工房oui工房長
宮城 南三陸
震災後に目にした風景がずっと心に残っている
─── ウィメンズアイ(以下、WE)の理事であり、パン・菓子工房oui(ウィ)の工房長でもあり、南三陸事務所にいつもいてくれる美知子さん。2013年に東京から移住してきて10年、南三陸で女性たちに寄り添い、エンパワーメントに関わってくれていますが、美知子さんにとっては、どんな10年でしたか?
そうですね〜。感覚としてはあっという間でしたね。ここに来て、出会えた女性の方達といろいろお話ししながら過ごしていくなかで、ひとつひとつの悩みや課題に出会いました。それをこう解決したいな、これに関わりたいな、もうちょっと楽になってもらえたらな、と思って行動していると、いつの間にか今に至ったという感じです。
─── そもそもは、 2011年の震災直後にボランティアで東北に入ったんですよね。
はい、震災発生当時は国際協力の仕事をしていて、自分でも何かできることはないかと思って。専門的な技術も能力もないけれど、現地に行きたいと思い、4月に入ってすぐR Q市民災害救援センターを通して登米に入りました。その時は、沿岸部の被災地に物資を届けたり、被災された皆さんをバスで内陸部のお風呂にお連れしたりする活動をして、一週間の滞在でした。
でも東京に戻ってからも、何か関わり続けたいという気持ちが抜けなくて。ちょうど現地で女性支援チーム(RQW)を立ち上げるということを聞いて、助成金の申請書を書いたり、事務手続きなどを担当することになり、メンバーに加わりました。
─── それが、NPO法人ウィメンズアイの前身になったんですね。ボランティアを行ったのは、震災後が初めて?
いえ、大学時代に海外のボランティア活動に参加していました。元々は、中学生の頃から英語が好きで、海外に興味があって。漠然と国連とかで働けたらいいなぁ、なんて思っていたんです。難民支援や平和構築に関心があったので、2000年にユーゴスラビアで難民支援のボランティアに参加しました。その後、2009年にもコソボに行きました。
─── コソボに! 紛争地帯に行くことに危険を感じませんでしたか?
当時は、紛争はひとまず治まっていたので、そこまで危険ではなかったんです。ただ、国境付近で銃を持った兵がいるのでやはり緊張感はありました。ただ、私はそういうことが怖い、と感じるよりも、紛争で家を失った人たちが長い期間避難生活を続けていて、これからどうなるんだろうと気になっていました。
今のウクライナの人たちもそうですが、住んでいた場所を奪われた後も、生活は続くわけですよね。それはとても大変なことで、どうやって暮らしを取り戻して、生きていくのか。家を突然、奪われるという意味では、震災も同じだと思います。
─── そうですね。だからこそ、震災後にも、拠点を東北に移してまで真剣に取り組みたいと思ったんですね。
2011年4月に実際に現地に行って見聞きしたもの。まちが壊れていた風景とか、その中で人と話したこととかがずっと忘れられなくて。その時の衝撃がやっぱり今も、強く残っています。