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移住して18年。変わらず、大好きなものが自分の手でできる喜び

伊勢崎まゆみ

風土農園
岩手 遠野

代官山から遠野へ

─── まゆみさんファミリーのプロフィールを教えてください。

私が今年46歳、伊勢さん(夫)が48。長男の「歩(あゆむ)」、小学5年生。長女「ねね」、幼稚園年長。次女「きの」、幼稚園の年少です。子どもたちの名前を逆から読むと「“きの” “ね”を“歩”く」なんですよ。木の根っこが張るように太くしっかり、人や好きなことにつながってほしいなと思ってつけました。夫は遠野で十六代続くお家で、名前は「克彦」といいます。代々名前に「克」が入っているお家なんですが、家に縛られないで自由でいたいよねという思いを込めて子どもたちには入れませんでした。そしたら漢字もいらないかーということで二人目からは平仮名にしました。私の名前も平仮名ですし。

─── まゆみさんが横浜から遠野に嫁いできて18年。どんな変化があったんですか。

もう、ちっとも可愛がられなくなった(笑)。こっちに来る前はアパレルの仕事をしていて、代官山で自分のお店をやっていました。消費社会ど真ん中の東京で、流行り廃りを追いかけて「モノを持っているのがいい」っていう価値観で生きていたように思います。だから遠野に来たばかりのころは本当に何も知らなかったですね。例えば春、田んぼに水が張ってある状態を池だと思っていて、「伊勢さん、この辺って池がいっぱいあるんですねー」「まゆみちゃん、それは田んぼだよ」みたいな(笑)。伊勢さんが「雨雲が山から昇るとあっちから雨が降ってくるんだよ」って言うんだけど、その雲がどれなのかもわからないし、何にも知らなかったんですよ。当初は自然の中で生きるということがとにかく新鮮で楽しくて、いっぱい吸収したい! という思いでした。吸収しながら自分も何かしたくなって、遠野で「空市」というオーガニックマルシェを主催したりもしました。

─── そのころ伊勢崎家の農業は?

そうそう。初めはここじゃなくて少し離れたところに夫婦二人で住んでたんです。今はもう亡くなってしまったんですけど、伊勢さんのお父さんと私たちの考え方が全然違っていたので、ぶつかるよりもまずは自分たちの暮らしをしたいね、と。お義父さんは農薬や化学肥料を使う一般的な方法でお米を作っていたんですけど、伊勢さんは受け継いだ初めの年に農薬や化学肥料を一切使わない「自然栽培」という方法に変えたんです。しかもちょっとずつじゃなくて伊勢崎家が持ってる田んぼ全部を一気に変えちゃった。売り先もJAには卸さないって決めたはいいけど、代わりになる販路もなかったから、当たり前だけど1年目は全然売れなかった。今みたいにネットの個人販売も発達してないし、今でも付き合ってもらっている本当に数少ない人たちに支えてもらってましたね。秋に収穫したお米がいつまでも売れ残って家にあるので、米農家としては「恥ずかしくて生きていけない」ってお義母さんにも言われたし、私もお義父さんに胸ぐら掴まれて「俺の家を潰す気か!」ってやられたこともあったよ。私も負けん気が強いから(笑)、胸ぐら掴まれたときも「じゃあ田んぼ来ないでください」と言い返したりしていつも大喧嘩でした。ただ義父も義母も、そんなことを言いながら稲刈りとか大変な作業は夜遅くまで手伝ってくれていたんですよ。

─── 義理のご両親相手に対等に渡り合えるってすごいですね……! どうしてそれができたんですか?

なんでだろう……いつも好き放題やらせてもらってたから変な自信があったのかな。例えばマルシェをやりたいって言った時も、7月の農繁期なのに伊勢さんは「やりなよ、やりなよ」って言ってくれて。そのうちに農園のことがメディアで取り上げられるようになって、つながりが増えて、お米が売れるようになって、3年目ぐらいには収穫前に完売するようになりました。

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