089

社会を変えたければ政治を拒否することはできない、諦めたくない

大塚愛

岡山県議会議員/大工
岡山

政治家を目指すプロセスは、家族との対話から

─── 最初に選挙に出たのは、いつでしたか?

ちょうど冊子を作った頃、2016年です。今、この「みどり岡山」事務所に写真が飾ってありますが、「子ども未来・愛ネットワーク」の立ち上げ時から一緒に活動してきた県議の横田悦子さんがお亡くなりになり、その補欠選挙でした。その時、3人目の子どもが1歳になったところでした。誰かが、横田さんの後を継いで頑張らんといけんなっていうのは、すごくわかっていた。それで2か月間散々悩んで、決断して、出ました。

─── 2か月間、何を悩みました?

少し前向きに考え始めた時点で、夫に相談したところ、まあ、反対しますよね。そこで、なぜ反対なの?って聞くと、例えば、まだ子どもが小さいのに家を空ける時間が増えて大変だと。そうしたら、じゃあ具体的にどれぐらい家を空けるんだろうと、先輩議員に聞きながら確かめる。例えば、県外視察なども子どもが小さい場合は休むケースがあるというのを聞いて、夫に返すわけです。するとまた、何か別の反対理由が返ってくる。そのやり取りでひとつひとつクリアにしていくと、こんな態勢でやっていけばいいかな?と具体的なイメージを作れてきたんですよ。最初全然腹を括っていなかったのが、階段のように心の準備のステップを踏んでいく。自分自身でも気づかないうちに、やってみようという気持ちが強くなりました。そこはひとつ大きな作業だったと思います。

─── 前に出ることが、怖くはなかったですか?

意外となかったんですよね。折に触れて選挙のことを話すと、話す人話す人みんな喜んでくれて、愛ちゃん出てくれたら希望が持てると言ってもらえたり。政治ってすごく重くて、硬くて、近寄りづらいんだけど、震災での原発事故が起きた中で社会の問題を変えていきたいって思ったら、政治を拒否していては変わらない、諦めたくないって気持ちもありました。

─── 愛さんは無所属で、事務所を置いている「みどり岡山」は市民ネットワークなんですね。岡山は市民活動が盛んな土地柄なんですか?

切り開いてきた方々がいらしたんですね。私も両親を含めて周りで環境や人権のことで動いてる人の姿を子どもの頃から見てきたし、市民活動の延長としての政治活動というのも身近でした。自分自身も岡山での被災者支援を通じて行政とやりとりなどするようになって、市民の声で行政が動いた時の影響の大きさや、ありがたさに対してポジティブイメージを持っていたんですよ。だから、誰かが立てばすごく応援する側になったと思うし、自分がその立場なら頑張ってやらなければ、と。選挙ではもうできることをやって、いいプロセスを積んで、結果がどうであれ満足という活動をしたいと登っていった感じでした。

─── その補欠選挙での最初の当選から、今回3期目はトップ当選されたと。ここに来るまでの一番最初のプロセスが、家族とのやり取りだったわけですね。

そうですね。女性ならではって言い方は変ですよね。でもやっぱり、女性でいろんな活動をしてる方に、議員になりませんかって声をかけた時にダメになる要因は、ほとんど家族です。逆に、周囲の協力なしではできないことですし。私も、家族といろんなルールをお互いに決めてやってきたけれど、普段と違うプラスのことが入ってくると動きすぎて、バランスがぐらつくこともありました。それで、夫婦カウンセリングのできる友人に入ってもらうようになったんです。話を交通整理してポイントを洗い出して、ここが良くなかったんじゃないかっていうところを変えてみようとか、取り決めが守れたかを1か月後にまた会って話そうとか。そうやって立て直すうちに、うちの生活もだんだん落ち着いてきた。夫も2回目の選挙では応援してくれるようになりました。子どもたちもすごく素直に「頑張って」と応援してくれるようになった、その変化はとても大きかったです。

1 2 3 4