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社会を変えたければ政治を拒否することはできない、諦めたくない

大塚愛

岡山県議会議員/大工
岡山

故郷の岡山で始めた被災地支援活動

─── 岡山に来てから、どうされてたんですか?

本当に、悲しみの日々でした。

原発が近くにあり、六ヶ所村のことや作業員被曝の問題を感じていたので、子どもが生まれた頃から福島で廃炉アクションという活動に加わっていました。福島原発の1号機が40年経つのがこの3月25日だったので、本来は、廃炉アクションとして声明を出すイベントを予定していたんです。だけど、その前に震災が起きて、メンバーがみんな日本各地に点々バラバラに避難しちゃった。それで、避難先から廃炉アクションの声明を出そうということになりました。声明を出すとか記者会見とか、どうやるのかさっぱり分からなかったんだけど、とにかく岡山は私やりますって手を挙げて。県庁での記者会見で声明を出して、自分の体験を初めてそこで話したんですよね。原稿も、ちょっと文字で書いてみて。

─── 3月、まだ社会は大混乱の時ですよね……。

そうです、大惨事の真っ只中だったけれど、初めて人前で話をしたら、そこから、原発事故の話をしてほしいっていろんなところから声がかかり。4月1日を皮切りに、すごい数の講演に行くことになりました。そのうち、汚染状況がだんだんわかってきたことから、岡山でも支援活動をやっていこうと5月に「子ども未来・愛ネットワーク」という団体を立ち上げて、避難者支援、講演活動、支援の呼びかけ、そこから派生するすごくいろんな活動をやりました。

─── 団体を立ち上げるときには、仲間がすでに岡山にできていたんですね

3月に初めて記者会見した時から、いろんな人が寄ってきてくれるようになって、つながり始めました。5月の立ち上げ時には20人ぐらい集まってくれて、動き出したんですよね。これは、震災から5年経った時に仲間たちと避難者の聞き取りをして作った冊子です(写真左)。いろんな活動をする中の1つでしたが、感慨深かったですね。

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