068

肩書きは自分で決められる。デザイン業が地域の中を楽しくつなぐ御用聞きに

武藤琴美

ゆきしろ屋/デザイナー/地域ディレクター
福島 二本松

肩書きじゃない、働き方なんだと気づく

─── ええっ、一旦デザインから離れたんですか?

そうなんですよ。モノを作るのも好きなんだけど、どっちかっていうと、自分の原動力は「いろんな働き方と、いろんな生き方があるんだ」ってことなんじゃないかって。デザイン1本じゃないんじゃないかっていう気持ちが生まれた時ですかね。そこから、埼玉県の小学校の臨時職員を経てNPO法人に勤めるんです。それが結局Uターンにつながるんですが。

─── 埼玉県のNPOはどんなNPOだったんですか?

深谷市にあるNPOで、放課後児童クラブを運営しているんだけど、子どもたちの1人1人が社会で役割をちゃんと担えるように地域ぐるみで育てていくってことに重きを置いていました。そのNPOでの経験が私にとってはすごく大きかった。代表理事の女性、私もうこの人に会ったから人生が変わったくらいに思っていて。その方の仕事の進め方、働き方がすごく良くて。

多分、自分はずっと職業の肩書きに対してこだわってたんです。田舎にいると、誰々さんは役場に勤めていて、誰々さんは看護婦になって、みたいな筋書きがあるじゃないですか。あれが嫌だったんですよ。両親も公務員とか、わかりやすい肩書きを求めてくる。一方で私も、会社員にはならないぞって実は職業の名前で考えていた、働き方で考えたことがなかったんですよね。

でもその代表は、肩書きがどうこうより、自分がやって意味があるかとか、それをやることでNPOの目的がちゃんと果たされるのかとか、子供1人1人に対して今、誰が一番ベストで向き合えるか、みたいなことをすごく考えてたんです。

仕事の進め方もすごくよかった。代表より年上のスタッフもいたし、男性含めいろんな人がいましたけど、本当に1人1人をよく見て仕事を振るし、何か起きた時の対処のスピード感もすごい。感情的原因と現実的に起きてしまったことの原因とを分けて考え、両方とも大事にする。それまでの私は、自分の中でモヤモヤしても内に秘めるタイプだったんですけど、それでは解決しないと思えるようになりました。こういう働き方があるんだなって、ちょっと衝撃だったんですよ、自分の中で画期的。働くってこういうことだなって思ったんですよね。

─── そのあと、福島に帰ろうって気持ちになったのはどうして?

すごく居心地も良かったし、天職だ、くらいに思っていたんですけど……。事業の中で、子どもたちが地域のおじいちゃん、おばあちゃんたちといかに交流できるかっていう企画をやらせてもらっていたんです。新興住宅地だったので転勤族の子どもがたくさんいたんですけど、地元の人たちと知り合いになってくる中で、深谷市に愛着が湧いてくるんですよね。転校してきたはずなのに、またいつかここにお家を建てたいとか言い出したり。子どもたちの夢は、薬剤師になりたいとか先生になりたいとかなんですけど、「先生になって深谷に戻って来たい」とか言うんです。

その過程がすごくいいなと思って。自分が福島にいた子どもの時はそうは思わなかったな、なんだか見ている世界が狭すぎたのかなと思ったんです。そんな時、二本松市で地域おこし協力隊第一期の募集がかかって。しかも、場所が岩代。これだ! と思って、連絡を入れました。そしたら、明日面接がありますって言われて、そんなことある? って思いながら、深く考える間もなくそのまま地域おこし協力隊になりました。

1 2 3