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南三陸に育てられた分、私らしくできることを「まちづくり」につなげたい

大場黎亜

株式会社Plot-d 代表取締役/プロットデザイナー
(一社)東北GYROs 代表理事
宮城 南三陸

地域の“お嫁さん”になった私に、できること

─── 大学院に進学し、在学中から企業に勤めながらも、南三陸に関わり続けたんですね。

今お話したように、大学4年の時にボランティアを続けようという思いもあって、慌てて大学院進学を決めました(笑)。同時に、全国でまちづくりをサポートする会社でアルバイトを始めて、修士2年目で契約社員に、修了後は正社員になりました。その間も東京と南三陸を行き来して、リモートで仕事をしつつ全国に出張をするというスタイルで飛び回っていました。

2014年には南三陸町復興応援大使に任命していただいたこともあり、もうずっと南三陸に関わっていきたいと決めていました。2015年にはボランティアセンターも閉鎖されましたが、それでも毎週のように南三陸に通って、イベントや地域祭りなど、ソフト面での復興のお手伝いをしていました。するとご縁もどんどん広がって、そんな時、のちに夫になる人と出会ったんです。

─── パートナーは南三陸の方ですよね。

そうです。彼は2013年に最年少で南三陸町町議になった人で。年齢はひと回り上で、活動分野は違うけれど、お互い南三陸町のことを考えて行動する部分は同じだし、最年少で役割を担うという立場も同じ。周囲に引き合わされて意見交換をするうちに、若い立場での孤独感とか町への想いとか共感部分がたくさんあって。ロマンチックな出会いというよりは、「南三陸を愛する気持ちは誰にも負けない!」という想いが同じだったことから、だんだん……(笑)。2年くらいかけて、じっくり結婚に向かっていったという慎重なお付き合いでした。

─── 結婚に対して慎重だったのはなぜですか?

やはり東北の小さな町で共通の知り合いも血縁も大勢いますから、東京にいる時みたいに、付き合ってダメでも友達に戻ろう……なんていうことは簡単にはできないですよね。それに「議員さんは奥様をもらって一人前」というような風習や認識があるのもわかっていました。結婚するなら「地方議員のお嫁さん」という立場になる。だけどこれまで自分の思うように、忙しく活動してきた自分自身がその枠に収まりきれるとは、思えなかった。

だから、結婚前から周囲には、「私は仕事は続けます。東京での仕事もします」とPRしまくっていました(笑)。「まあ、黎亜なら、そうだべな」と、理解を得た上で結婚したというのもあって、ありがたいことに、周囲はとても理解を示してくれます。特にお姑さんはとても優しくて。忙しく飛び回っていても嫌な顔もせず送り出してくれますね。

─── ずっと南三陸町に関わってきた黎亜さんだからこそ、認めてくれてるんでしょうね。

ありがたいですが、ただ、もちろん、この町にお嫁に来たのだから、自分だけ好き勝手しているのはダメだとも思っているんです。お姑さんは良くても、もし周囲から「あの家の嫁はいつも家にいない。家事もしない」と言われたら、傷つくのは家族。だから、できる時はちゃんと地域に馴染むお嫁さんをやっていきたい。忙しくてもできるかぎりみんなのご飯は作るし、家にいるときはお姑さんと夫との時間も大事に過ごします。

その上で、私は事業を立ち上げたり、出張に行ったり、みんなと違うこともするよということは堂々と出していきたい。そこは、若いとか女性とかよそ者とか関係なしに、自分らしくというところ重視で。でも同時に、この町のために働きたいし、田舎らしい、男性を立てる女性みたいなシーンがあっても、それも一つの文化であり、町の良さになっていることもあるから、行き過ぎた男尊女卑でない限り、嫌がっているわけではありません。どちらもバランスかな、と思っています。

─── ご結婚後、地域の人たちとの関係性に変化はありましたか?

皆さん変わらず優しいですが、やっぱり、「外からくるボランティアの女の子」から「町民」になったんだから、町民としての信用を得るために行動しようとは思っています。できるだけ町のイベントや草刈りに参加したり、小さなことでも町の人のお手伝いをしたり、というところは積極的に行っているつもりです。この町に骨を埋める覚悟で結婚したということ、南三陸で南三陸のために生きていきたいということをわかってもらうために、コミュニケーションをとるようにしていますね。

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