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自分の人生は自分が決めていい、「ナリワイ」が私をエンパワーしてくれた
菅原明香
ナリワイALLIANCE代表/全国通訳案内士/複業アーティスト あかるさかおる
山形 三川
ナリワイプロジェクトの旋風がパーっと吹いた
─── 明香さんは、「ナリワイALLIANCE」という、鶴岡ナリワイプロジェクトの修了生による団体の代表をされているんですよね。そもそも「鶴岡ナリワイプロジェクト」ってどういうものなんでしょうか?
好きなこと・得意なことで、身近な困りごとを解決する小さなビジネスを『ナリワイ』と呼んでいます。プロジェクト代表の井東敬子さんがこの『ナリワイ』の起業講座を始めて、私は2016年度に参加しました。
以前は鶴岡市の隣の三川町で英語指導員をしていたんですが、出産を機に辞めざるをえなくなって……。知り合いに聞いた起業講座の受講を申し込んだのは、娘が2歳になり、社会復帰したいと思っていたときでした。その当時山形の田舎で英語やイラストデザインを活かした仕事はハローワークでは見つからず。自分の能力ややりたいことで、ここでどうやったらお金を稼げるんだろうって思っていたところでした。
─── 講座の何が印象的でしたか?
もうね、毎回泣いていました。敬子さんに会うと泣きたくなるんですよね、ポジティブに自分を全面にさらけ出そう、みたいなメッセージを感じて。私はそれをしてこなかったから、イラつくような、感じたことのない刺激があって。
私、山形の高校を卒業してアメリカの大学に行ったんです。英語を喋れるようになって、ジャーナリズム学部で学んでジャーナリストになりたかった。
でも、滞在中にニューヨークで911のテロが起こって、その報道ばかり見ていたら自分の精神状態が悪くなっちゃったんですよ……。このニュースに向き合えない私は、ジャーナリストになれないと思って、辛くて。でも、アメリカの大学を卒業する目標は達成したいと、芸術学部に編入して卒業しました。絵を描くのが好きだったんです。卒業後に日本に戻らずアメリカで就職してもよかったのかもしれない。チャンスを潰しちゃったのかもと今となっては思うけど、その時は帰りたくて。
帰国してしばらくして結婚したんですが、夫は代々続く農家の長男なんです。あまり意識しないでいたんですが、来てみたら昔ながらの「嫁」の世界というか……。少なくともアメリカ文化に馴染んだ私にはカルチャーショックの連続でした。そういうところに入って、良い嫁とか良い母とか考えて、できるだけ自分を出さないように出さないように生きてきたんですよ。
ところが、起業講座で敬子さんが「えっ、思ったことを言っていいし、好きな服着なよ、思ったように生きたらいいじゃん」みたいなこと言ってくるんです。
─── お嫁さんで「家に入った」から、自分のことは封印気味だった?
そうですね、人口7000人の小さな町で、派手なことしちゃいけないって思い込んでしまうというか。家の大きいおじいさんも厳しくて、家長が決める家父長制のエピソードはたくさんあります。そんな積み重ねでこう、詰んでいたところに、起業講座で敬子さん旋風がパーっと吹いたという感じでした。
─── そうだったんですね。半年の起業講座の成果はどうでした?
講座では屋号をつけるんですが、私、結婚する前に一度絵の個展を開いたことがあって、自分の名前「明香(さやか)」から取った「あかるさかおる」というアーティストネームは持っていたんです。それで、アートや英語を使って何事かやってみようと、中間発表会で英語で話すカフェを試してみたり、フェアトレードの紅茶を紹介したり。そして、「バイリンガル育児教室」というのをやり始めました。これは月1で今も続けています。ワークショップ代を頂く程度なのでそんなにお金になるわけではないですが。