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地域という物語を生きる。Iターン2世のアイデンティティから見えた景色
八巻眞由
(一社)YOMOYAMA COMPANY 代表/「まどい」ママ
宮城 丸森
失敗すら学びに変えてくれるほど、学びは優しい
─── 町の変化ってなんですか?
丸森って、うちの家族が28年前に移住した頃、それこそIターン、Uターンっていう言葉が出始めたぐらいの時に、この町が素敵だって思った自然思考の高い人たちがいっぱい移住していた町だったんですよね。「自然と生きる」を夢見る人たちが選んだ魅力がこの町にあって、私もそれが丸森の素敵なところだと思ってきたんですよ。うちの家族が移住するとき、全国いろんな自治体をまわって、丸森だけが唯一快く受け入れてくれたと、両親から聞きました。いろんな変わった人も含めて外からの移住者を受け入れる文化が町にあったのは、阿武隈川の舟運で栄えたからかもしれないし、川伝いの交流があったのかもしれない。よく言われる田舎の閉塞感と比べて、丸森はどこか開けたところがあったんだと思うんですよね。なんか、ちょっと面白いことが起こるかもっていう予感がある、だから、移住者たちもやって来た。
─── 面白さがね、うん、そういう風土みたいな。
ところが、自然思考の高い人たちの世界観って何よりも原発事故や放射能と相容れないじゃないですか。だから本当に丸森の移住者のほとんどが出ていっちゃったんですよ。昔は、移住者を中心に毎月のように楽しい手作りイベントがあったり、おしゃれなパン屋さんがあったり。子どもながらに、キラキラ楽しそうな大人の姿を見ていました。移住者は移住者を連れてくるという連鎖もあって、地域の希望にもなっていたし、その人たちが持っていたエネルギーが凄まじかった。だから実は、見えないけれども震災の影響が大きかったなと思う。すごく大きな、積み上げてきたものを原発事故によって失った。
その震災の直後に地方創生が始まったじゃないですか。丸森も含め、どこの町も競って同じような移住政策、起業支援の施策を始めて。この頃から地域の情報媒体に「丸森町を世界に!」とか、「丸森発の〜!」とか、「先進的な」とか、そういう言葉が目立つようになりました。それがどうしても私には表面的なものに見えるというか、本質的じゃないように感じられてしまって。進化や発展は素晴らしいことだけど、そこで暮らす地域の人たちはどう幸せになるのかなって。
─── 町の文化的な空気がだいぶん変わったということなんでしょうかね。眞由さんはそんな丸森でこれからどうします?
そうなんですよ、どうする?(笑)。でも、地域って、振り子のようなものなんじゃないかなと思うようになりました。地元の人たちと移住者たちが自然と共存しながらあるものを生かす丸森らしいまちづくりをしてきた極で震災が起こって、今度は、振り子が地方創生側にだいぶん振り切ろうとしていて。まあでも今は本当に、両端が同時に存在することが、多分、大事なんだろうって思っています。幅の広さが多様性を生むし、地域の厚みになるんだろうなって。
外部の事業者が地域振興ビジネスのためにどんどん入ってきた当初の私はすごい怒りに震えてて。だって、町の大人たちが町外の会社や移住者にばかり夢中になっているすぐそばで、私の目の前にいる地元の高校生が、「早くここから出て行きたい」ってこぼすんですよ。当時はもののけ姫を観て、森の生き物たちに感情移入して泣きました。実際に森林保全の面でも、ここ数年でメガソーラーや風力発電の参入が増えていたりもするし。振り返るとそんな荒れた時期もあったけれど、今はもうだいぶ気持ちに整理がついてきて、一つの町の物語として一歩引いて捉えれば、すごく 興味深いよなって思っています。そこと、自分の個人としての人生をどう掛け合わせていくかっていうのが、今はテーマで。YOMOYAMAをどうしよう、「まどい」をどうしていこうと。
ずっと一緒に活動してきた萌美とは、「実った、実った」って言葉も今出たりして。絶対的な正解が無い時代だけれど、学びは思考を深めるし、学びは挑戦を誘う。ひとつの地域でここまで頑張ってきて、失敗も山ほど重ねたし、苦しいこともたくさんあったけれど、挑戦の結果が失敗だったとしても、それすら学びに変えてくれるほど、学びは優しいんですよね。
─── 2人目の産休で休業中の「まどい」も年明けには再開ですよね。子どもを持って変わった心境もありますか?
上が2歳になったところで下は今、2か月です。萌美の子どもも、上の子と同い年なんですよ。これまで自分たちは「若者」だったから、地域の若者向けのいろんなことをやってきたけど、やっぱりそこに母親っていう属性が追加されると、じゃあ、今度お母さん向けの何かやってみようかとか。それこそ、まどいも子連れで、もう少し利用しやすくできたらいいなとか。もしかしたらもっと、女性向けの事業に注力するYOMOYAMAになるかもしれないし、まだそこも全然余白があるというか。
─── そうですね、今、余白を感じながら、産休明けに何かが起こるかも。
そうですね。今はとにかく、暮らしと子育てをただただ味わいながら過ごしています。多分また何か見えてくると思うので、焦りとかも全然なくて。子どもの頃から、自分のお店やさんをやりたいなと思っていたところもある。子どもも2人になって、運営メンバーも少ない中だけれど今は、「まどい」を再開するのが楽しみですね。「まどい」があるか無いかで変化する未来があるはずだし、意味のないように思えるような小さな活動も、絶対に関係し合っている。そうやって、地域や社会とつながり合いながら、自分の人生を真っ直ぐ生きていく。その信念だけは、この10年間活動してきてずっと、心の真ん中に持っています。
- 八巻眞由
- 1992年岡山生まれ。3歳の時に藍染工房を営む家族で宮城県丸森町に移住。移住2世のアイデンティティを持ち、中学生からジュニアリーダー活動を通してまちづくりに参加。東日本大震災後には、同世代を集めた青年団を立ち上げる。丸森町役場で3年務めたのち、丸森町筆甫地区の集落支援員に。2014年に山元町で始まった人材育成塾「伊達ルネッサンス塾」の第一期を受講し、翌2015年からは運営団体である(一社)ふらっとーほくの理事に。また、2016年には家業の藍染工房から新たにブランド「伽藍(がらん)」を立ち上げた。2017年、青年団以来の盟友と地域団体YOMOYAMA COMPANYを設立、2019年法人化。2019年の丸森町大水害の際には、地元団体として災害ボランティアセンターの運営に奔走する。2020年、拠点「まどい」をオープン。インタビュー時は2人目の子どもの産休時だったが、2023年3月1日より夫とともに「きまぐれごはんとスナック喫茶 まどい」としてリスタート。
きまぐれごはんとスナック喫茶 まどいhttps://www.facebook.com/madoimarumori
https://www.instagram.com/madoi.marumori/
インタビュー日 2022年12月19日
取材・文 塩本美紀
写真 古里裕美
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