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安全な食と安心できる場を作りたい。地域の人が出会い、つながれるように。
山崎鮎子
カフェ・ブルーア・シエーロ店主
岩手 釜石
どうしたらいいのかわからない。でも、私はカフェをオープンさせる
─── 鮎子さんが、カフェを始めるきっかけは何だったんですか?
このカフェは、卸業を主に営んでいる義父の法人の一部としてやっている形なんです。
元々、義母が、ずっと卸の仕事をしていたんですけど、震災で被災したことを機に人生観が変わって。素材にこだわったパンや健康志向の食をツールにして、もっと人とコミュニケーションをとれるような仕事をやっていきたいって言うようになったんです。自分はパンを焼きたいから、鮎ちゃんはカフェやらない? って誘われたことがきっかけですね。
─── 話をもちかけられた時に、戸惑いなどはなかったんですか?
私も東京で働いていた時に、簡単なカフェ業務に携わったことがあったんです。飲食の経験が全くゼロではなかったし、義母がやりたいっていう気持ちもわかるし、そういう場を作るのは、いいことだなって思いました。
孫の名前にちなんで「青い空」を意味するところから店の名前を付けたいって言っていて。建物を建てて準備していたんですけど、お店の形が整ってカフェとしてオープンできそうな段階で、義母の病気が見つかってしまったんです。
もうそこから、ほとんど義母は仕事には来られない感じになってしまって……カフェをオープンするどころではなくなってしまいました。卸業の仕事の方もやめて良かったんだろうけど、やめ方もわからないまま、必然的に私が業務を引き継ぐことになったんです。
─── 鮎子さんが一気に色々背負うことになってしまったんですね。
本職の卸の方をとりあえず回さなきゃいけないと思ってはいたものの、わからないことも多くて。私より先輩のパートさんがいたので、一緒にやってもらいました。私は会社のことも、そんなにやったことがあるわけじゃないから、何もかも、てんてこ舞いになってしまって。カフェをやろうなんて、その時点ではあんまり思えなかったですね。
病気が見つかった翌年に義母は亡くなってしまい、私はとりあえず卸の仕事だけを続けていました。でも、カフェの方は営業許可を取って形も整っているし、あとは実際にやるだけっていうところだったので、やっぱりオープンさせたいなって思って……。会社の経営と卸業でてんてこ舞いな状況の中でしたが、東北未来創造イニシアティブ人材育成道場「未来創造塾」*の第4期があることを聞いて、半年間のプログラムに参加したんです。