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お母さんの不安解消、「寄り添い、つなげる」がわたしの仕事

櫻井京子

一般社団法人ドゥーラ協会認定産後ドゥーラ
岩手 釜石

産後がこんなに大変だなんて、誰も教えてくれなかった

(2021年6月11日取材)

─── 京子さんは「ドゥーラ」という資格をお持ちだそうで、今の活動について教えてください。

釜石市を中心に、産前産後のお母さんとその家族をサポートするためにご自宅へ行き、家事や育児やお母さんのケアをする「産後ドゥーラ」という活動をしています。実際にお宅に伺うこともあるのですが、「ドゥーラカフェ」という名前でお母さんたちがホッと一息つける場の提供をしています。また、釜石市が運営する「しごと・くらしサポートセンター」で、子育て中や妊娠・出産を控えている方を対象に講座を行ったりしています。

平日は主に、釜石市の平田子育て支援センターで子育て支援員として勤務していて(インタビュー時)、来所される親子さんと関わったり、お子さんと遊んだり、お母さんとの話の中で悩みをきいたりもしています。また、釜石市ファミリー・サポート・センターやキッズラインのベビーシッターとして、お子さんをお預かりすることもあります。

─── お母さんと子どもに関係することを中心に幅広く活動されているんですね。

そうですね。私自身が妊娠・出産・産後・子育ての一番大変な時、外部の支援の方々からサポートを受ける機会が多かったんです。サポートを受けることで元気をもらい、私も「産後ドゥーラ」として地域のお母さんを元気にしたいなと思って、子育て支援活動をしています。


─── サポートしてもらった経験が始まりだったんですね。

母子手帳をもらいに行った日が、2011年3月11日だったんです。ちょうど東日本大震災の日、市役所で母子手帳をもらってから、会社に戻ってきたときに地震がおきました。その後すぐに津波がきましたが、海辺にある漁業資材の会社に勤めていたので、着の身着のままで避難しました。それで、命からがら助かったんですけれど、仕事をなくし、私の実家が被災してしまい、せっかくのおめでたい妊娠の時期を、素直に喜べなかったり、すごく不安な気持ちで過ごしたんですよね。

子どもが生まれてからも自分の親にも頼れなかったし、自分で頑張らなきゃって、一人で抱え込んでいた時期がすごくあって、体調を崩したりもしました。自分が思い描いていたような子育てができないなと思っていたときに、両親が入っていた仮設住宅の一角にNPO法人母と子の虹の架け橋さんの「釜石ママハウス」という母子支援施設があり、そこに来ていた助産師さんに助けられました。

─── すごく大変な経験をされていたんですね。

おっぱいを吸わせたいけれど上手に飲ませられなくて悩んでいたときに、支援施設のスタッフの方が「助産師さんが来るよ」って声をかけてくれて。助産師さんからコツを教えてもらい、やっと上手に飲ませられるようになりました。震災を機に始まった夫の実家での同居生活になかなか慣れず、初めての子育てでもいっぱいいっぱいになっていました。居場所がほしいなって思ったときに、「ママハウス」のような母子支援施設が外に出るきっかけになり、自分が一番しんどい時期に、ひとりで子育てしているっていう感覚じゃなかったことですごく助けられました。また、震災直後から被災妊婦を受け入れる活動をしている方々がいたのですが、その中の「NPO法人まんまるママいわて」代表で助産師の佐藤美代子さんと知り合い、まんまるサロンのお手伝いを、2年ほどしていた時期もあります。

─── ドゥーラのことは、その頃知ったんですか?

はい。産後、自分の思いを整理できなかったときに、これまた産後ケア支援に来てくれた「NPO法人マドレボニータ」さんのカリキュラムに参加したことがあって。その時、産後のお母さんは、ホルモンのバランスの影響や社会と断絶されていた時期があるため、例えば、有酸素運動と人と会って話すことが、社会復帰の練習にとても有効だと教わったんです。
私は、被災地にいた妊産婦だったから、被災地支援で訪れてくれた支援団体の方々からこうした産後ケアを受けることができたけれど、この先の釜石の妊産婦さんってどうなんだろうと思いました。専門的なことはやっぱり助産師さんじゃないと答えられないし、私が、これからのお母さん達の役に立てることあるだろうかって考えていた時、自宅を訪問し家事や育児を手伝いながら母親の不安に寄り添う「産後ドゥーラ」のことを教えてもらい、知り合いの助産師さんを通じてドゥーラ協会につないでいただきました。

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