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あの日からずっと、命の奥にふれ続けている
藤城 光
アーティスト、デザイナー/未来会議事務局
福島 いわき
「未来会議」、語り合う場をつくりたかった
─── そうだったんですね。
震災後は避難せずにいわきに留まっていました。泥かきボランティアをしながら、ここに残っている自分にできることはないかと思うようになりました。
当初の福島では、震災に関するたくさんの報道がされましたが、その規模の大きさから、1人1人という個人の姿や個人的な想いまではなかなか見えにくい状況があった。「生身の人間である」ということが抜け落ちてしまっているように感じられて、そこに課題感を持っていて。一方で、震災から1〜2週間はまだ原発がどうなるか分からなくて、放射線量が高く心配な想いをしている人がいて。さらに事態が悪化すれば自分も死ぬ可能性もあるなという不安もあって。残さなければ無かったことになってしまうかもしれない、人々が生きた痕跡を残さねばという気持ちになっていきました。伝承につなげていくために、話を聞いて、書き残すことをやってみようと決め、福島県内の中通りに住み自主避難をはじめていた同業の友人に協力してもらいながら、福島の人の個々の声の聞き書きをを始め、それを発信するウェブサイトをつくることにしたんです。「PRAY+LIFE」という活動名をつけました。
─── 何を大事に残したい、伝えたい、と思っていたのですか?
個人的とも言える瞬間、でしょうか。日々を形づくっている、些細にも見えるもの、ともすれば記憶からもこぼれ落ちてしまうようなこと、それこそが普遍的なものであり、同じ人間なんだと感じてもらう足掛かりになるのではないかと思ったんです。パンが焼ける香り、野菜を切る音、夜明けにドアを開いたときに入ってきた朝の日差しの色とか、名づけようもないそういったものたち。日常って、暮らしているって、そういうことだなって。些細なことの積み重ね、そんな質感を紡ぎたいなと思いました。
当時私は、東京の「アーツ千代田 3331」というアート施設内のシェアスタジオに在籍していたんですが、PRAY+LIFEの活動のことを話すと、メディアの情報でしか福島の現状を知ることができないので、インタビューしたものを冊子にして配布してほしいと言われたんです。そこで、展示会のイベントに合わせて、福島の声の聞き書きを集めたフリーペーパーを制作・配布したところ、それがきっかけで様々な場所に置かせてもらえないかと依頼があり、全国各地から反響をいただくことになりました。そのうち、英訳させてほしいという人も現れて、海外向けに一部英語版も発信されました。
─── 海外にまで発信、すごいです。
声を紡ぐことは、予想していた以上に時間も労力もかかりましたが、一つひとつの声を受け取るたびに、その人それぞれの人生そのものがかけがえないと、強く思うようになりました。紡ぎ出されたその一言を発するに至るまでの背景を想像すること。震災という出来事は、人生の中の一瞬でしかなく、その前も後もあるのだということも感じました。
そういう視線というか……「細部」の大事さをずっと思いながら、「未来会議」もやってきた気がします。
─── 「未来会議」って、なんでしょうか?
対話の場です。インタビューの活動をしていく中で、それぞれの被災のあり方や選択の違い、放射線量に対する感覚の違いが、震災や自分のことを語りにくい環境を作り出していて、お互いに何をどう感じているのかが分からない上、さらにその軋轢が深まっていく状況が見えてきたんですね。語り合える場があれば、それがお互いの理解につながり、それぞれの事情を持ちながらも生きやすくなるのではないかと思い、小さな場を数回やってみたんです。
こんな場を続けていきたいなと思っていた2012年秋に東日本大震災復興支援財団による子ども被災地支援法の聴き取り対話ワークショップに参加する機会をいただき、そこで同じような想いをもっていた有志と出会えました。彼らと一緒に2012年12月にボランティアでの運営母体をつくり、2013年1月に第1回の対話の場を開きました。原発の廃炉まで40年はかかると言われていたので、最低でも40年は続けようとスタートしました。事務局も数10人が関わるようになり、対話の場も多い時は100名前後の方が集い、年に数回の対話の場やトークイベント、スタディーツアーなどを実施しているボランティア活動です。
─── 「未来会議」の活動で大事にしていることは何ですか?
考え続けること、かな。震災や原発事故がもたらしたものは、一言では到底語れない多面性を持っていて、簡単に答えを出すことはできない複雑さを抱えていることばかりです。答え自体が無いものも多い。だからこそ対話を重ねながら、自分とは違う生き方や考えに触れ続けること、相手の気持ちを想像し続けること、自分の思考を柔らかくしておくこと、考え続けることをやめないことが、大事なのではないかなと、思っています。