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10年前に見たかった未来に立ち戻り、「平地の杜」の風景を次世代に
佐藤尚美
(一社)ウィーアーワン北上 代表理事/平地の杜プロジェクト
宮城 石巻
胸のうちにある地域への思い、見たかった景色
─── ええっ、市の委託事業を断って、団体としては金銭的にも窮地に追い込まれそうな時ですよね?
はい。当時の気持ちとしては、それまで復興まちづくりに打ち込んできたけれど、私が見たい町を作っているっていう感覚ではなかった。本当はもっと自分がしたいことを自分軸でやりながら、収入も得て、スタッフの雇用も確保して。そんなことできるんだろうか、みたいなことを考えて……何も決められないモヤモヤした時期に、いつも通り北上の道を走っていました。そこに、被災した荒廃した集落跡地がバーンと目に飛び込んできたんですよ。
その時にふっと車を止めて、「あれ」って。
私たちは10年がんばって走ってきたけれど、10年前に見たかった未来、次世代に引き継ぎたい北上の風景は少なくともこれではないぞっていう気持ちが湧いてきて。いろんな点だったものが私の頭の中で一瞬でつながると同時に、「いいなあ」って思う綺麗な森の景色が写真みたいに目の前に浮かんだんですよ。
その時、私、自分軸でそれをやろうって思いました。お金にならないとわかっているけれど、でも、もういいや、今までやれることはやってきた。始めた時も、お金も知識も何もないマイナス地点からのスタートだったんだから、もう1回マイナスから再スタートすると思えばなんてことないなって。「平地の杜」っていう言葉も、その時に浮かんだんです。北欧の森が好きで、趣味で本を読んだり、フォーラムを聞きに行ったりしていたんです、そのイメージとつながった。
─── その決意から、どう進めたんですか?
最初は、スタッフにも誰にも言えなくて。だって杜を作るなんて話、衝撃じゃないですか、今までそんなことかじったこともないわけですから。
YouTubeで調べながら、1人で何回も集落跡地に行っては、土を掘ってみたり、匂いを嗅いでみたり。後ろに山を背負って10年放置されているのに、木が1本も生えていない荒地。スコップが刺さらないぐらい土が硬いんですよ。家の基礎ってわざわざ固めるわけですから、素人の私でも、これは土壌の問題なんだろうと察しはつきました。
すると、事務所に土嚢袋とスコップがある、尚美ちゃん何やってんだ?ってスタッフにも気づかれ始めてしまいまして(笑)。私も漠然として説明できないままではまずい、一旦企画書に落とさなくちゃって思って。つながりのあった大学の先生や、高台移転事業で協力してもらった建築系の人たちに、宅地だった場所を森に戻す方法はないですか?って問い合わせたんですが、まるっきり相手にされない。集落を森に戻すなんて無理だよ、みたいな反応しかなくて。
その頃、石巻市の方が、被災移転元地(集落跡地)を使う場合、今だったら、他所から持ってきた客土を上に被せる予算をつけられるよっていう話を持ってきてくれたんです。でも、私の中では、それをやったらとり返しがつかないことになる気がして。荒地になった集落跡地は、北上だけでも10箇所ある。今から杜づくりを進めるにあたって明らかに長期スパンになるのに、今回客土を入れても、今年度止まりの一過性の事業でしかなくて、復興財源がなくなったら終わってしまう。再現性がないって思ったんですね。なんかもっと、このままでやれる方法はないだろうかって……すごい悩んで、勇気を出して断ったんですよ。
断っちゃった手前、何がなんでも探さなきゃっていう危機感を抱えていた時に、知人の大工さんにちょっと話をしたら、地球守の高田さんっていう面白い人がいるって教えてくれて。
─── 「土中環境」っていう本を書かれている、高田造園設計の高田宏臣さんですね。
そうです。そこから私もネットでその「土中環境」を調べ始めて、ああ、これだ!って。高田さんは、日本全国から引っ張りだこで忙しいんですが、30分だけ話を聞いてくれることになり2021年の年明けに初めてオンラインで話しました。30分のうち29分は高田さんが自分の話をして(笑)。本当に最後の数分で、「おっしゃることはすごくわかりました。だから、私たちはその高田さんに技術指導してもらいたいんです、もう私たちはこの土中環境の手法でしか杜づくりはできないと思うんです」って話したら、じゃあ1回見に行くよって来てくれたのが、震災からちょうど10年目になる3月11日の翌日の3月12日でした。
私たちが候補に挙げていた場所も実際見てもらって、高田さんがじゃあやろうって心を決めてくれた。後になって、高田さんも何か縁を感じると言ってくれて。東日本大震災の直後、石巻や北上に来ていたそうなんです。その時からずっと心を痛めていたけれど、自分たちは何もできなかった。その後の10年という節目で、これは意義がある事業だと感じたとおっしゃってくれて。
それに私も、地域住民の、住民自身の力ってすごいなっていうことを、今この平地の杜づくりで、もう1回思い知らされた感じがする。「住民自治ってこういうことなんだ」って住民さんから逆に気づかせてもらって。
─── それは、どういうことでしょう?
私たちが地域運営組織作りの仕事をしていた時って、「こういう組織を作っていかなければ」とか、「組織がないと、これから北上が大変だ」とか、要は住民に説明して説得するということをしていて。多分それで自分たちが苦しかったんですよね。楽しくなかった。
そこを平地の杜をやりたいんだと、一旦、全部捨てたわけです。始める前に杜づくりの最初の候補地になった集落跡地から高台移転された住民さんに1回集まってもらったんですね。土地は今は石巻市の所有になっているけれど、皆さんが元々暮らしていた土地なので、住んでいた方々の許可を得たいと。
そこで、私たちこういう杜づくりをやりたいと思うんです、私がそう思ったのはこういう理由で、こう感じたからですって、全部自分の言葉で話したんです。住民さんに了解だけしてもらえたらいいって思いながら。
でも、もう、すぐその場で「賛成、賛成」って。
「じゃあ、私、庭でアジサイを育てて、それ持ってくわ」とか、 「あそこに栗の木の小さいの生えてるから、あれ取ってきたら」とか、自分たち主体の話になっていく。そこで、「あ、住民自治ってこういうことか」って目の当たりにした感じがしたんです。
説得じゃなかったんだよなって。その地域への思いみたいなものは、結局、その1人1人の胸のうちにあるのに、私たちはそこを無視して整えようとしてきた。自分たちのその過去の失敗に改めて気づいたというか。ああ、だから苦しかったんだみたいな。
─── 何か心に持ってるものがある。きっと、持ち寄れるものなら持ち寄りたいと本当は思っていて。
うんうん。荒地のことを「自分たちも仕方ないと思ってきたけど、でも、見るの嫌だったよね」っていう言葉が出たり。あ、共感ってこういうことかって。