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10年前に見たかった未来に立ち戻り、「平地の杜」の風景を次世代に
佐藤尚美
(一社)ウィーアーワン北上 代表理事/平地の杜プロジェクト
宮城 石巻
復興支援から、地域づくり、地域運営組織づくりへ
─── 尚美さんは石巻市の北上で震災後に地域団体を立ち上げて、最近は、集落跡地を杜に戻す「平地の杜」づくりに取り組んでおられるとか。
はい、まさか杜づくりや造園を仕事にするとは夢にも思っていなかったんですが(笑)。
─── もともと北上の出身ですか?
いえ、石巻の街のほうが実家です。主人は土建業の会社勤めで、北上で義父母と同居していました。私も元々は建設系の会社などに勤めていたんですが子どもが3人になり、小さな会社の会計代行や、経理の手伝いを掛け持ちするフリーランスのような感じで動き始めていた時に震災が来て……。主人は津波で亡くなりました。
自宅も津波で流され、子どもたちを連れて石巻の実家に借り住まいしましたが、当時中学生の長男を北上の学校まで毎日送り迎えをすることになりまして。それなら北上で仕事ができた方が良い、「お店をやろう」となったのが、団体としてのウィーアーワン北上の最初だったんです。
─── またどうして、お店を?
本当に日常の、卵、牛乳、豆腐、みたいなものを購入できる場所もなくなっていました。そこで、任意団体をつくってお店を始めてみると、さらにいろんな課題が見えてきて。私、震災のちょうど1〜2年前から北上のまちづくり委員をやっていたこともあって地域活動に縁があったんです。やっていくうちに面白くなってきた。
いずれ、国や県が「復興」をやってくれるって思っていたんですよね。そうしたら、どうもそうでもない。震災前のお店も戻ってこない、人もどんどん減っていく、これからの北上どうなるんだろう、復興してるのか?って漠然と思っていた頃、石巻市で復興支援員制度が始まりました。じゃあ、試しに復興支援員も0.5人分ぐらいでやってみるかと。団体のウィーアーワン北上と、復興支援員の二本立てになりました。
震災の時、たくさんの人に助けてもらって「あ、こんなことが人生の中にあるんだ」って……NPOっていうものもそこで知りました。最終的には2017年にウィーアーワン北上で法人格を取って、東京のNPO法人パルシックさんから石巻市の復興支援事業の委託を引き継ぎました。
─── 「やっていくうちに面白くなってきた」っておっしゃったのは、どういう点ですか?
たぶん、合っていたんですね自分の性質に。一般の会社勤めだったら「不適正」と言われる部分が、この仕事の場合は適正になるというか。多動なので、同じことをずっとやると、つまらなくて飽きるんですよ。でも、「ああ、これはいいな!」って思ったものを行動に移すのは早い。 そういう性質が、復興の仕事の場合はメリットとして生きたというか。
─── 具体的に、復興期の地域支援ではどんなことをやってきたんですか?
復興支援員としてやったのは、高台集団移転促進事業の中間支援です。被災した住民さんは集落単位で話し合いを重ねて、自分たちがどうするか決めなければいけない。石巻市役所北上総合支所はパンク状態でしたが、誰かが取り仕切って、地区ごとに様々なテーマで話し合う場を先導しなければいけなかったんですよね。
ウィーアーワン北上の方は、地域の女性を2人雇用してお店を回しながら、地域支援の仕事は私1人が担当。というのも、お店事業で採算が取れないということはわかっていたんです。だから、自分は今後、地域でどう仕事をしていこうかと学びながら手探りしていた感じでしたね。2020年の9月にお店をやめて、それ以降はウィーアーワンとしても、地域支援、地域づくりの仕事がメインになりました。
─── 高台への移転事業自体はいつ完了したんですか?
2017年9月です。当時私の中では、復興支援員の機能を今後どうしていくのかという問題意識がありました。いずれ来る制度終了と同時に町の復興も終わっているなんていうことは、ちょっと考えにくかった。その後、この地域のことを誰が決めて動かしていくのか? いわゆる、地域自治についてまちづくり委員会でも勉強会を開催したり、中学生以上の全住民アンケートを取ったりしてきたなかで、地域運営組織にすごく興味が出ていました。国内だと先進事例で有名なのが、島根県の雲南市とか、静岡の清水町とか。プライベートで報告会を聞きに行ったりもして。
─── まちづくり委員会がパワーアップしたような組織ですよね。法人化したり、資金面でも自走化していたり。
そうです。「地域のことをよくする仕事」っていうのが成立したらいいな、例えば、お店がない問題、移動交通の問題なんかも、そこで取り組んでいけたらいいなと思って。それをどう事業化して自走していくんだろう、みたいなことを考えていました。そんな時に、石巻市の政策としても、北上で地域運営組織作りをやろうという話になり、委託事業という形で私たちに立ち上げの仕事が舞い込んだんです。でも、それを受けてやり始めたら結果的に、これは楽しくないなって思い始めて……。実際、北上でも立ち上げる一歩手前までは行ったんですけど。
─── 楽しくなくなった? やりたい事業に資金がついて幸運という見方もありそうですが?
そうなんですよ。お金は降りてくるけど、モチベーションは逆行しちゃったんです。委託事業として2年間は受けたけれども、3年目にお断わりしてしまいました。住民自治や地域運営組織が必要だという思いは変わってないし、まだ諦めていないんですけれど、無理やり作ってもな……って。それが、もうすぐ、来年の3月で震災から10年っていう時でした。モチベーションも下がって、もうウィーアーワンは今年度で終わりでいいのかな、たたもうかなって、本気で考え始めたんですが。
その時に私、「平地の杜」づくりをやりたいってひらめいちゃったんです。