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仕事、住まい、つながり。リラックスできる町で、楽しく暮らせるのがいい

風間一恵

コワーキングとコミュニティオフィス 風笑堂/地域コーディネーター
青森 八戸

コーディネーターの仕事に出会うまで

─── Uターン者同士だったんですね。一恵さんは、何がきっかけでUターンしようと思ったんですか?

Uターンする直前は、岐阜のNPO法人で、新規事業立ち上げの仕事をしていました。職種としては、大学生のインターンシップや、就職・キャリア支援のコーディネーターです。仲間がみんな年齢も近くて仲良くて、仕事もおもしろかったんですがとにかく忙しくて、夜中まで働くこともしばしばありました。同年代の女性の同僚と夜中にラーメン屋に行って「この調子で長く働くのは無理だよね」なんて話しながら、「ああ、もうすぐ35歳になるんだな」って気づいて。「どこか別の土地に住んでみるのもアリかもなぁ」と考えたりもしていたんですが、ふと地元のことを思い出して。親との関係も悪くないし、青森に帰らない理由はないなあと思って、Uターンを決めました。

─── そうだったんですか。一恵さんは、ずっとハードワーカーだったんですか?

いえ、それが全然違うんです。私、23歳で一度結婚してるんですが、自分の母が専業主婦だったので、自分も専業主婦になるんだろう、旦那さんが養ってくれるのが当たり前で、自分はそんなに一生懸命仕事しなくてもいいやと思っていたんですよ。そんな考えでいて結婚生活がうまくいくはずもなく、32歳で離婚しました。

当時の私は、仕事に対して意識が高い人間では決してなかったんですが、離婚してしまったので、自分自身が社会人としてもっとちゃんと働けるようにならなければ……と思って。当時働いていた岐阜のNPOの仕事をやりきろうと決めました。岐阜での仕事はすごく大変でしたが、今の仕事や働き方につながる素地はここで身につけられたのかなとは思います。

─── それで、Uターンしてからは移住コーディネーターのお仕事をされるようになった、と。

岐阜の仕事で知り合った方がつないでくれて、Uターン後はまず青森市のNPOに就職しました。そこで任された仕事が八戸エリアの移住コーディネーターの仕事でした。八戸エリアは、近隣町村に住んでいても職場は八戸という方も多い。そこで、市町村の垣根を超えて、八戸エリアの移住情報を提供したり、イベントを企画したり、一次窓口として移住希望者に対応したりしていました。

その後、2018年からは兼業で八戸市の企業でも仕事をしながら、大学生向けのインターンシップや社会人向けの複業・兼業のコーディネートにも携わっています。去年から、蕨さんとの事業も始めたので、「何の仕事をしているのか」と聞かれると、一言で答えられなくて自分でもすごく困ります。

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