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高校生だって、気仙沼のために何か役に立ちたい。その思いが自分を動かした

小野寺真希

コミュニティデザイナー/荒屋デザイン代表/合同会社moyai
宮城・気仙沼

中学3年生のときに震災。自分にできることが何もなくていつもモヤモヤしていた

─── 小野寺さんは中学生のときに震災を経験されているそうですね。

中学3年生のときです。卒業式の前日で、私は家にいました。家があった鹿折は、津波や火災の被害が大きかった地域でしたが、幸い、うちは家族全員無事で、親戚の家に避難することができました。大人達はその日から毎日大変そうでしたが、私は何もせずに漫画を読んで過ごしているだけ。避難所で暮らす友人達は、中学生でも避難所の役割みたいなのがあって、みんな何かしら働いていたのに、私はこんなんでいいのかなぁ〜と、モヤモヤしていましたね。

高校は5月になってからスタートしました。1年生の最初に行われる合宿は中止になってしまったけれど、授業や部活は普通に始まりました。でも、学校の校庭には自衛隊の人やボランティアの人達が出入りしていて、被災地であることを実感させられました。大人達はこんなに動いてくれているのに、自分は普通に高校生活を送っている。高校生の私にも何かできないだろうかという葛藤のような気持ちをいつも持っていたように感じます。

─── そうでしたか。

転機が訪れたのは、高校2年生のときです。友人が「底上げYouth」という、気仙沼の高校生のまちづくり団体を立ち上げて、その発表会を見に行ったのですが、そのときに「高校生でも町のためにやれることはあるんだ!」と知って、「私もやってみたい!」と心を動かされたのです。

このプロジェクトは2012年からスタートし、私は高校3年生だった2014年のときに参加しました。その年のプロジェクトは、気仙沼の魅力をもっと知ってもらうために、観光業を盛り上げていこうというものでした。気仙沼の歴史や文化を調べていくと、気仙沼出身の歌人・落合直文が、短歌で初めて「恋人」という言葉を使ったことを知り、それにちなんで「恋人の町」をテーマに、気仙沼のデートスポットを紹介することにしたのです。

─── 面白そうな企画ですね! 底上げYouthとして参加したことで、何か変化がありましたか?

実は、震災前は気仙沼に対してたいして興味がなかったんですよ。好きでも、嫌いでもないというか・・・・・・。多くの人がそうしていたように、高校を卒業したら、東京にでも行くんだろうなと思っていました。だけど、底上げYouthのメンバーとして、気仙沼について調べたり、考えたりしていくうちに、気仙沼の良さが見えてきたんです。同時に、まちづくりに興味を持つようになりました。たくさんの人や多くのものを失った気仙沼が、これからどう変わっていくのか。そこに自分も関われたらいいなと思うようになりました。

ちょうど、山形の東北芸術工科大学で、コミュニティデザインという新しい学科ができて、私が学びたいのはこれだ!と。

─── コミュニティデザイン? あまり知らない分野なんですが、大学ではどんなことを学びましたか?

大学ではスタジオ活動というものがあって、山形県のまちづくりに携わりました。私が携わったのは高畠町の二井宿地区という小さな町で、そこは小学生のうちは青少年活動が盛んで、地域でいろいろなことをやっているのですが、中高生になると地域とのつながりがなくなってしまうので、中高生と地域がつながれる何かを生み出すことができないか考えました。コミュニティデザインは、第三者の視点は大事だけれど、こちらから提案するだけではダメで、やはりそこに暮らす人達の考えを受け入れ、住民達のモチベーションを上げていかないと継続していかないんです。ですから、コンサルというよりも、一緒に考えていくという姿勢が大事なんですね。そういう経験を大学時代にできたことは、とても良かったと思います。

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