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いつか、石巻からオリンピック選手を。食×スポーツで応援したい
小川奈津美
季節のおいしい食卓 SONO店主
宮城 石巻
ほっとする場所を作りたい。バイトとつながりづくりに励む日々
─── その、「心地よさ」が、お店をつくりたい想いの引き金になったんでしょうか
ほっとする場をこの被災地に作りたいと思ったのが一番最初のきっかけだったんだと思います。2012年の8月にこのボランティア団体での私の仕事は急に終わりになり、そこからは、まずお金を貯めなくちゃと思いました。1年間は仙台で仕事をしたんですが、お金を貯めるなら家賃がいらない実家に帰った方がいいと、2013年の9月から2017年の3月まで約3年半、静岡で実家の乾物屋を手伝いながら、外でもバイトをして貯金しました。
─── 3年半も! その間、パッションが消えることはなかったんですか?
なかったですね。やりたいって思ったらやらないと気が済まない性格で。東北に戻るために静岡の実家にいるっていうことはブレなかったです。その間も「被災地でお店をやるにはどうしたらいい?」って思いながらリサーチを続けていたんですが、ボランティア団体で一緒だった仲間が、石巻にいたんです。話を聞いていたら、自分で商売をするなら町の規模や位置なども石巻って良さそうだなと思って。
とはいえ、石巻に行ってすぐにお店を始めるなんて無理。町の様子を知って、つながりを作るためにも最初の2〜3年は石巻で働こうって思いました。そこからお店を始めるとして、飲食関連のお店って持って3年とか言われている。もし3年でダメだったとしても、ギリ40歳手前だからまた就職先を見つければいいやと。女で40歳過ぎたら絶対安定した就職先見つからないって思って逆算して、石巻に来るタイミングを決めました。
─── すごい冷静な分析ですね。そうして、満を持して2017年春に石巻に移住したとのことですが、そこから起業に向けてどう動いたんですか?
まず、牡鹿半島の付け根にある蛤浜のカフェ「はまぐり堂」で働き始めました。
オーナーの亀山貴一さんは震災後に水産高校の教員を辞めて、大きな被害を受けたご自身の生まれ故郷の「浜の再生」を模索しながら起業して、カフェを軸にした事業をされている方です。亀山さんには早い段階から、飲食のお店をやりたいと思っていることを相談していて、アドバイスをもらったり、いろんな人とつないでもらいました。当時は石巻の飲食店あちこちで人手が足りていなくて、飲食のバイトを掛け持ちしながら町のことをだんだん知っていきました。お惣菜屋さんを始める前に、「Mimiのおまんじゅう屋さん」という屋号で、週1回くらいお饅頭、苺大福、あんみつ、ぐり茶の葛ぷりんなどの和菓子を作って販売していたんですけど、それも、はまぐり堂で知った洋菓子屋さんとつながりができて1年間だけのチャレンジショップみたいな形でやらせてもらえました。すごくありがたかった。私にとっては、はまぐり堂が石巻のハブ空港みたいな感じなんです。同じころ、亀山さんの勧めで、今、店舗の場所を貸してくれている石巻のクリエイティブチーム「巻組」の渡邊亨子さんとつながって、「石巻松下村塾」に参加できたことも起業にとっては大きかったです。
─── 「石巻松下村塾」って何ですか?
巻組が運営に関わる起業家育成プログラムで、2018年度に参加させてもらいました。原価率がどうこうっていうこととかよりも、アドバイザーの方々がおられて、なぜ自分がその事業を立ち上げたいのかというパッションを掘り下げていく感じ。私にとって良かったのは、なぜ自分がこの町でこれをやりたいのかということを明確にさせてくれたことです。
それで、資金は実家にいた期間にある程度は貯めたものの、足りないので国民政策金融公庫に融資を申し込みました。その後も、松下村塾の方々が経営アドバイスをくれたりして、すごく助かりました。
─── 巻組って、いろんな事業をしているんですね。