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地域づくりには正解も終わりもない。だから私は傷つき、成長する。
小林奈保子
なみとも代表/cotohana 共同代表
福島 浪江
想いとお金のバランス、挫折を繰り返した20代
─── 奈保子さんが「地域づくり」に関わるようになったのはいつからですか?
学生時代からずっとなの。福島市の大学に進学したんだけど、そこがボランティア活動にすごく力を入れている学校で、学生たちは地域にどんどん出ていきなさいっていう方針だった。私も言われるがままに地域でボランティア活動をしてみると、自分の感覚にフィットしたんだよね。地域活動でできたつながりの中から声をかけていただいて、卒業後はそのままNPOの世界に。でも福島市のNPOで挫折して、郡山市のNPOで挫折して……っていう散々なスタートだったんだよ。
─── えっ! そうだったんですか。挫折っていうのは具体的にどんなことが起こったんですか?
最初に入った福島市のNPOでは、まちづくりイベントをやっていました。イベントのためにはお金が必要なのに、誰に頼んで、どうやって集めてくるか全然わかってなかった。それに、イベント一つ打つのに全力だったから、終わったら燃え尽きちゃうんだよね。半分病みそうになって辞めちゃった。次は郡山でコミュニティスペースを運営するNPOに入ったんだけど、そこも資金繰りが全く整ってなくて大変で、だんだん精神的に追い詰められていった。
─── わかります。お金と想いのバランスって苦しいですよね。
そうなの。NPOの運営でよくある問題だと思うんだけど、私が働いていた団体はどちらも、代表やスタッフの想いが先行して、お金はまぁ……どうにかなるだろう、みたいな感じだった。私自身も大学生の時からそういうタイプだったし。その結果、自腹や手弁当になっちゃって続かない。2回も同じ失敗をして、「私はこのままじゃダメだ! 自分の足で自立せねば!」と思って、一般企業に挑戦することにしました。2011年3月11日はちょうど郡山で既卒者向けの研修を受けていたところだった。すごい地震で、机の下に入っても机がガタガタ揺れてたもんね。研修も就活もストップしたから、NPO仲間にくっついてしばらくは避難所のボランティアをして過ごしました。震災の3か月後、県内の食品配達会社に就職が決まって、そっからはもう……ただ、ただ社畜に成り果てた2年間でした(笑)。
─── 自分の足で自立する、という目標はどうなりました?
「自分で稼ぐ」っていう感覚は得られたかな。今でも夢に出てくるけど、毎週ノルマがあって、ピンポン営業したり、自分で商品を買って無理やり数字上げたりさ……、大変だったな。
お金よりも大きな収穫は、一般企業で働いている人の感覚を知れたこと。企業もNPOも社会問題を解決しようとしていることには変わりないんだけど、やっぱり働き方が全然違うんだよね。企業で働いている人が余暇の時間に地域活動するなんて結構きついんだってことがわかったの。私自身も自分のノルマのことで精一杯で、地域活動なんて全くできなかったから。それから、普通の会社で働けたということはすごく自信になった。それまでは「私、社会に適合できない!」なんて思ってたけど、ちゃんとできたぞって。
─── そしてまたNPOの世界に?
「もうこの会社で学ぶことはない」と思っていた頃に、またNPO仲間から「『田村市復興応援隊』っていうのが始まるからやらない? 奈保子は田村市出身だし、学生時代からいろんな活動してきたじゃん」と誘われました。自分の頭には2回の挫折経験があるから、「私、たぶん使い物になんないですよ〜」って断ったんです。でもその後も何度かお願いされて、「こっち(NPO)の世界に戻っておいでよ」とも言われて。会社も辞めたかったし、地元には友達もいるからいいかな……と。2013年9月から4年弱、「田村市復興応援隊」として活動しました。