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地域づくりには正解も終わりもない。だから私は傷つき、成長する。

小林奈保子

なみとも代表/cotohana 共同代表
福島 浪江

避難指示解除とともに浪江町へ、再び地域づくりを

─── 応援隊では、過去2回の挫折のように自分の想いだけで突っ走って潰れることはなかったんですか?

ギリギリセーフのところをずっと綱渡りしているような感じだった(笑)。でもなんとか大丈夫だったな。私自身の想いというよりも、地域の人たちの想いが大事だと思っていたからかな。あくまでも“応援”隊だって意識していました。そこが以前とは大きく違ったところかも。住民がガツガツやりたいなら私もガツガツ、ゆっくりやりたいならゆっくり……と、歩幅を合わせて活動しましたね。

─── その後、どんな経緯で浪江に来ることになったんですか?

2015年の暮れに結婚したんですが、相手が浪江町役場職員なんです。応援隊時代に、他の地域の復興支援員と集まって研修をしたり視察をしたりしていて、彼もその中にいました。2017年3月末に浪江町の避難指示が解除されて夫が本庁に戻ることになったので、私も一緒に引っ越してきたんです。田村市の住民の皆さんとは親戚みたいな関係性になってたから、ものすごく丁寧にご挨拶に回って応援隊を卒業しました。

避難指示解除直後の浪江って、住民200人ぐらいからスタートして、津波の爪痕もまだ残っていて、インフラも整っていない状況。すごい静かだったし、「こりゃあ大変だな……」って思いましたね。浪江に来たばかりの頃は、全然なーんにもしてないです。ちょっと疲れちゃったから、「しばらくは何もしないぞ!」って決めてゆったり暮らしてました。でもわりとすぐに、「浜通りで被災地支援コーディネート事業をやるんだけど、コーディネーターやらない?」って声をかけていただいたんです。まだ心の準備ができていなかったから、「もうちょっと待ってください!」って断っていました。

一方で、当時の浪江って私たちのような20代、30代が全然いなくて、「これって街として変だよな……、若い世代が集まらないと何も始まらないぞ……」というモヤモヤが膨らんでいました。やがて少しずつ外から入ってくる若い人たちが現れ始めて、中には「いろんな人が集まれる拠点を作りたい!」と、私と同じ課題を感じている人もいたんです。コーディネーターのお誘いも何度か来ていたので、これはそろそろ動くときかなと。結局移住して半年で活動を始めました。

─── 今の活動を教えてください。

二つあります。一つは「なみとも」という任意団体で、若い人たちが集まれる場所をつくったりイベントをやったりしています。他には、町内の支援者や地域づくりの取り組みをしている民間企業・団体が集まって情報共有をしあう「なみえ会議」の運営、地域のキーマンとの活動や事業づくりなどのコーディネーターの仕事です。二つ目は「cotohana」という任意団体で、双葉郡で子育てをするパパ・ママたちの応援を通じた地域づくりに取り組んでます。いろいろやってるんだけど、子育てに必要な情報をまとめた冊子の発行とか、ママたちが集えるイベント、子ども食堂の運営なんかですね。私も含めて、メンバーはみんな子育て中の当事者なの。

─── どちらの団体でも奈保子さんは「代表」ですね? 負担は重くないですか?

大丈夫なの! 「なみとも」は一緒に立ち上げたメンバーと二人三脚だし、「cotohana」は“共同”代表だし。過去の経験から私は一人で抱え込んで潰れるって学んだから、絶対に一人ではやらないことにしてる。それから、昔に比べて人に頼れるようにもなったかな。20代のころは一人で頑張って、追い詰められて、「手伝うよ」って言われても「そんなの、申し訳ないですー!」って全然周りにヘルプが出せない人だったね〜。今はそんなことないよ。応援隊時代にゼロから物事を進めるプロセスを何度も繰り返して、いつヘルプを出すべきかを学んだから、負担も少ないかな。

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