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ありのままの自分でいい。世界は思っていたよりも優しくて温かかった。

佐竹歩美

日晴り(ひばり)デザイン
宮城 大崎

訪れたタイミング、自信のない自分を変えたいという思いが背中を押した

─── でも、すぐに戻らなかったのは?

やっぱりスキルは身に付けておかないといけないと思ったからです。卒業後は教育系の新聞社でイラストレーターとして働いていました。最低でも3年間は勤めなきゃという気持ちがありました。実は私、高校卒業したばかりの春休みに地元で短期のアルバイトをして、そこで今の夫と出会い、長い間遠距離交際をしていたんです。地元によく帰っていたのも、そういう事情があったというのももちろんあります。

─── わぁ、それは長いお付き合い! では、結婚のタイミングで戻ったということ?

そういう話は出ていましたけど、夫は私と違ってすごくしっかり者なんですよ。まずは、私の仕事がちゃんと決まって、落ち着いてから結婚をしようと(笑)。でも、大崎にデザインの仕事なんてそうそうなくて。ようやく見つけて、ほぼ決まりそうという段階になったのですが、面接で「うちは小さな会社だから、結婚しても5年間は子どもは作らないで欲しい」って言われて、「えーっ! そんなの勝手に決めないで」ってなり、結局そこではなくバスで1時間かけて仙台のデザイン事務所で働くことになったんです。小さな会社で、上司はいい人だったんですけど、直属の先輩とあまりうまくいかなくて……。仕事も激務で、毎日遅く帰ってくることに家族の理解もうまく得られなくて1年で辞めてしまったんです。仕事の内容はとてもやりがいがあって続けたかったのですが、なかなかうまくいかないなぁと、凹みましたね……。

─── その後はフリーランスですよね?

地元に『オオサキノオト』というフリーペーパーがあることを知り、気になっていたんです。田舎の町のフリーペーパーなのにデザインが素敵で、切り口も新鮮。どんな人たちが作っているんだろうと興味を持ってコンタクトをとってみました。編集長に自分の話をしたところメンバーに誘っていただけて。そこで、地元のいろいろなところに取材をし、素敵な人たちに出会えたのが、今の私の仕事につながっていると思います。

─── そして、いよいよ自分から動き出しましたね。 『ツナグ編集室』を始めたきっかけを教えてもらえますか?

転機となったのは3年前です。『オオサキノオト』は20号目で休刊となってしまいましたが、『オオサキノオト』のご縁から大崎市が発行している地元の事業者向けのフリーペーパーで、デザインや写真の仕事を依頼されるようになりました。デザインの仕事から徐々に編集の仕事に携わるようになって、やはりいつかは自分の手で地元の雑誌を作りたいと夢が膨らんでいきました。

ちょうどそのとき、私の憧れの藤本智士さんが「地域を編集する」というテーマでオンラインスクールの仲間を募集していたんです。実はその1年前にも第1期生を募集していたのですが、そのときはそんな雲の上の人が主催するオンラインスクールなんて恐れ多くて、私なんてムリムリ!と思って、参加したい気持ちはすごくあったけれどあきらめていたんです。でも、2回目の募集を見たとき、「これはきっとタイミングなんだろうな」と感じ、思い切って応募してみた。でも、本当の理由は、自信のない自分を変えたかったからです。

─── 「Re:School」は私(石渡真由美)もメンバーで、歩美さんとは同期ですよね。「Re:School」は週1回、国内外さまざな地域に暮らすメンバーが、自分が今頑張って取り組んでいることや関心のあることについてウェビナーで発信し、仲間と疑問や考えを共有する場。好きなときに自由に参加できるという緩さが私は気に入っていますが、歩美さんのように強い思い入れを持って参加している人が多いなと感じます。

私も今は5歳と8歳の娘がいて毎回積極的に参加できているわけではないのですが、「Re:School」が持つ優しい雰囲気、例えばどんなことを言っても否定しないところとか、対話を大事にするところがすごく好きで、「Re:School」の仲間といると、素の自分が出せるような気がして。それと、ありがたいことに「Re:School」を通じて、お仕事の話もいただくことが増えて。真由美さんにウィメンズアイ(以下、WE)のお仕事を紹介していただけたのも、「Re:School」で出会えたからで。

─── 確かにちょうどあのときは、宮城県在住のカメラマンを探していたんです。でも、私が歩美さんに声をかけたのは、宮城県に暮らしているからといった条件ではなく、歩美さんが撮る写真に何か温かいものを感じたから。

そういってもらえると嬉しいです。その後、藤本さんからも2023年に仙台で開催された『仙台謎解きウォーク』に参加した方に、最後にお渡しする冊子の写真のお仕事をいただいて。ほんと、夢のような話でした。

─── わぁ〜、それはよかったですね! ところで、写真を始めたのはいつから?

実は、なぜか思い出せないけれど、小学5年生の誕生日に親からフィルムカメラをプレゼントしてもらいました。それで地元の風景や当時飼っていた犬の写真を撮っていたんです。でも、すぐに飽きちゃってしばらく忘れていたんですが、大学生のときにスポーツ写真を撮るアルバイトをしたのがきっかけで写真を撮るのが好きになりました。今は、デザインの仕事をしながら、家族写真などの仕事もしています。

─── 話が前後してしまいましたが、『ツナグ編集室』はどのような経緯で始まったんですか?

大崎でフリーペーパーの仕事をしていく中で、同世代で地域を盛り上げたいと活動する仲間に出会いました。みんな地元の大崎が大好きで、大崎の魅力を発信していきたいと思っていた。そこで「まずは1冊、自分たちの手で小冊子を作ってみよう」と立ち上がったのが、『ツナグ編集室』です。

ただ、実は冊子はまだ完成していないんですよ……。

─── えっ? どういうこと???

途中まで制作はしていたんです。『ツナグ』創刊号では、まずは地元の素敵な人を紹介したいと「人」にスポットを当てた取材をしました。メンバーは未経験者もいたので、みんなで試行錯誤しながらやっていたんですけど、制作の途中で、「これから鳴子と岩出山の観光HPを作る予定なんだけど、やってもらえないか」と取材のお仕事の話をいただいて。まさに編集室としてやりたいお仕事だったので引き受けました。でも、受けた後が大変でした……。

鳴子と岩出山のお店やカフェなどを3か月で20軒取材して記事を書くというものだったのですが、なんせ私たちは無名の編集室。いきなり電話やメールでアポを取って取材なんてできないと思い、まずはご挨拶に行って、取材許可をいただいてと、すごく時間と手間をかけました。

地域の人に失礼のないように丁寧に進めたかった。ただそちらの対応で『ツナグ』の制作がストップしてしまったんです。

観光サイトはなんとか完成したものの、当時は本当に毎日がドタバタで。下の子がまだ2歳で手がかかる時期だったのですが、家の中はカオスでしたね。夫がサポートをしてくれましたが、世の中はコロナ禍でピリピリしている状況でしたので、やりたいことをやっているのになんだかとてもつらい。こんな生活は長く続けられないなと思い、一度『ツナグ』はお休みすることにしたんです。まだ1冊も世に出していないのにお休みだなんておかしな話なんですが。でも、観光サイトの仕事ではいろいろなことを学びました。

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