091

ありのままの自分でいい。世界は思っていたよりも優しくて温かかった。

佐竹歩美

日晴り(ひばり)デザイン
宮城 大崎

ずっと下を向いていた私の心の扉を開けた1冊の本との出会い

─── 歩美さんは生まれも育ちも大崎市、そして最近はお隣の栗原市にお引っ越しをされたそうですね。一時期、首都圏に暮らしていますが、地元に戻ったのはなぜですか?

私の実家は代々米農家。父は兼業でしたが、子どもの頃から米づくりを見て育ちました。3人姉弟の真ん中で、4歳上の姉は勉強がよくでき、3歳下の弟はスポーツ万能。特に取り柄のない私が唯一褒められるものといえば絵だったので、高校卒業後は横浜の美術大学に進学しました。先に上京していた姉と横浜で二人暮らしをしていたのですが、田舎とのギャップが大きくて。

─── 例えばどんなところ?

まず、同じアパートに住んでいるのに、人との交流がまったくない。それと、お米を買わなければいけないということにも驚きましたね(笑)。大崎は米づくりが盛んな町で、道を歩いていれば田んぼから「歩美ちゃん、おはよう!」と誰かしらが声をかけてくれるんです。自分たちの食べ物は自分たちで作るというのが当たり前の暮らしだったので、当然子ども達も手伝わされるわけですよ。当時は、農作業はしんどいし、体中が汚れるから嫌だなぁと思っていたけど、終わったあとにみんなで大量のおにぎりやてんこ盛りの山菜の天ぷらを並べて、「いや〜、みんなお疲れさま〜!」と言って大人も子どももニコニコしながら食べるんです。そのごはんがとっても美味しくて! 大崎を離れたら、なぜかそういう風景を思い出すことが増え、徐々に「帰りたい」という気持ちになっていきました。でも、10代の頃の私はそんなことには気づけなくて、ただただこの町から出たい一心だったんです。

─── やっぱり、田舎ならではの息苦しさみたいなのがあったのかしら?

それも多少ありましたけれど、実は中学時代にいじめを経験しているんですよね……。最初は些細なことから始まりました。仲の良かった友人がくだらない理由で、1年生の頃から男子にいじめられていたんです。2年生になってその友人とクラスが一緒になったので、もともと正義感が強いほうだった私は、一緒にいることでその子を守ろうとした。でも、怒ったり、相手に面と向かって発言できたりするタイプではなかったので、次第に私もいじめられるようになりました。

つらくて、助けて欲しくて……、1年生のときに仲の良かった友人を頼ってみたけれど、心底嫌そうな目で見られて。何も悪いことをしていないのに、あっという間にみんな敵のようになってしまった絶望感を今でも覚えています。卒業後、いじめはなくなって新しい友達もできたのですが、あまり高校生活は思い出せません。

─── そんなつらい経験をしたのに、今は大崎市のフリーペーパーの作成に積極的に関わったり、地元の風景を生かした家族写真を撮影したりしていますよね。地元を離れて田舎暮らしの良さを再認識したというだけではない、何かきっかけがあったのかしら?

大学2年生のときだったと思います。ふらりと立ち寄った本屋さんで、雑誌コーナーに置いてあるけど雑誌っぽくない、今まで見たことのない本が目に入りました。『Re:S』という雑誌です。創刊号は「すいとうのある暮らし」がテーマで、便利が重宝される時代に、取りこぼされてしまったものにあえて光を当てるという姿勢に、すごく温かいものを感じて。私は中学時代にいじめにあってから、なるべく自分を出さず、周りの人と合わせるようにひっそりと生きてきたのですが、この本を見つけたときは「なに、この本、すごい!」と自分の中から感動が湧き出てくるような感じ。琴線に触れるとはこういう感覚をいうんだなと思いましたね。その後の号の「フィルムカメラでのこしていく」「地方がいい」など、どれも自分に刺さるテーマで、「世の中の違和感を拾い上げて発信をしていく」という編集者の藤本智士さんの考えにとても感銘を受けたんです。

当時の私はグラフィックデザインを学んでいましたが、編集者という仕事はよく知らなくて、へぇ〜、こういう仕事もあるんだなと興味を持つようになりました。同時に、嫌いだった地元も、帰省をするたびに意外といいところが見えてきて、いつか地元の大崎の雑誌を作ってみたいなと、漠然と考えるようになったんです。

1 2 3