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第一に家族を愛すること、そして夢を追うこと。故郷がそれを叶えてくれた
横須賀直生
おかしなお菓子屋さんLiebe
福島 楢葉
チョコレートの香りに誘われて
─── 直生さんは「お菓子屋さんになりたい」という昔からの夢を叶えられて、すごいですよね!
この夢を描くようになったのは高校2年生の冬でしたね。当時の私は特に目標もなくて勉強も好きではありませんでした。ちょうどバレンタインデーに向けて家でチョコを作っていた時に、「この香り好きだなー。この香りの中で仕事ができたらいいな」と、本当に軽い気持ちから製菓の道を選んだんです。ところが、専門学校に入ると私、花開いたんです。それまでは他人の気持ちがよくわからなくて、「なんでまわりが私に合わせてくれないの?」と思っていて、おかげで友達付き合いが苦手な子でした。でも専門学校に入ると、みんな同じ目標に向かって頑張っているから、仲良しこよしの“お友達”というより “仲間”になれた。見た目も出身地も関係なく高め合える関係で、自分の気持ちが解放されたような感覚がありました。「私が本当に求めていたのはこれだったかもしれない」と。
専門学校を卒業して神奈川のお菓子屋さんで働いたのちに、1年間ドイツに行きました。お店には4年勤めてだいたいの仕事ができるようになっていたので、このあたりで一度自分のやりたいことを見つめ直したいなと思ったんです。ドイツを選んだのは「バニラキッヘェルン」というドイツ菓子に衝撃を受けたからでした。とても素朴なお菓子なのに、本当に美味しいんですよ。教科書にレシピは載ってるけど、ドイツ菓子とはなんなのか実際に現地に行って空気ごと体感してみたくて。ドイツを中心に周辺7カ国を旅しながら、食べ歩きにほとんどのお金を使いました。
─── ドイツではどんなことを感じて帰ってきたんですか?
ドイツの経験はお菓子作りよりも自分の人生観に与えた影響の方が大きいかなと思います。ドイツの人ってすごく家族を大事にするんです。法律でも日曜日と祝日は労働が禁じられています。日本じゃちょっと考えられないですよね。ドイツで暮らして、人と触れ合って、この人たちは心の底から人を愛するということがわかっているんだなと感じました。ドイツの人たちみたいに私も家族を愛して生きていきたいと思いました。
帰国後は水戸のホテルでパティシエとして働いていました。26歳で結婚して夫の地元である水戸に移り住んで、28歳で一人目を出産、翌年に二人目を出産しました。水戸は初めて住む土地だったし、義母も働いていたので頼れる人もいないし、地域の子育て支援センターに行ってもお友達ができるわけではないし、育児がとにかく苦しかったですね。育児休暇を終えて、職場復帰が目前に迫ってくると恐怖を感じました。育児に追われるままに仕事を始めたら、私、今以上に自分をないがしろにしてしまうんじゃないか……って。子育てを中心とした生活をしながらパティシエを続けるには自分でお店を持つしかないんじゃないか。でも水戸ではできる気がしなくて、悶々としていました。
そんな頃、故郷である楢葉町に行く機会があったんです。2018年ごろでしたから、避難指示が解除されて3年目ぐらいでしょうか。役場に行くと同級生がいきいきと働いていました。その姿がキラキラしていて、なんだか気持ちがスーッとしました。ここなら、家族を大切にしながら自分らしく働けるんじゃないか。自分の店を持つという夢が叶うんじゃないかと。