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一着の衣を長く大切に着てほしい。かわいい服には旅をさせよ

内田麻衣

交衣室mege オーナー
宮城 松島

大量生産と布の廃棄処分……。私が本当にやりたかった“衣の仕事”って?

─── 麻衣さんは宮城県の松島にお店を構えていますが、ここの出身ですか?

いいえ、私は石巻市の北にある北上町という町(2005年に石巻市に合併)の出身なんです。松島にはご縁があって、2年前に移住しました。ここにたどり着くまでは、東京、岡山、石巻で暮らしていました。

子どもの頃から服が好きで、服を作る仕事がしたくて、東京の専門学校に進学したんです。卒業後は、アパレル会社に就職し、東京で販売の仕事をしていました。震災があったのは、その時です。

故郷の北上町は海の町で被害が大きく、実家は全壊。でも、その時は震災を機に戻ろうとは思いませんでした。幸い、家族は無事でしたし、両親も「こっちは大丈夫だから、あなたは自分の好きなことをやりなさい」と言ってくれたので、私はこっちで頑張ろうと。でも、故郷のことはいつも気にかけていましたね。

─── 岡山へはどうして?

勤めていた会社がデニムをメインに扱っていて、岡山に本社と縫製工場があったんです。私は服を作る仕事がしたかったので、異動願いが4年目に叶い、縫製工場の仕事に就くことになりました。製造の現場ではたくさん学ぶことがあったけれど、同時にこの仕事に対して疑問を感じるようになってしまって……。

─── というのは?

たとえば、服を作る数は決まっているのに、布の発注はロット単位で注文しなければならず、余った布を廃棄することに抵抗がありました。また、会社が大きくなるにつれ、セールになるのを前提に大量生産するようになり、私が思い描いていた服を作る仕事とかけ離れた場所にいるように感じてしまったのです。大好きな服に携わる仕事をしているのに、なぜか心がザワザワしてしまう……。そこで一度、故郷の北上町に戻って、自分がやりたい「服との関わり」を考えてみたいと思うようになりました。

戻って1年目は、地元の追分温泉でアルバイトをしながら、細々と洋服のリメイク等をやっていました。同時にこの温泉で、月に1回のペースで、「峠の市」という手づくり市を開催していました。出展者は自分で作った野菜や手作り小物などを販売していました。回を重ねるごとに知名度が上がり、遠方からわざわざ来てくれる方が増えました。自分の知らないところでどんどん広がっていった感じでしたね。夫とは、「峠の市」と音楽祭が合同で催されたときに知り合いました。横浜の人なのですが、音響の仕事をしているため、今も横浜に暮らしています。離れて暮らしていますが、月の半分はこっちに来ているので、お互いメリハリがあっていいんですよね。

─── 最初のお店は石巻で始めたと聞きました。きっかけは?

石巻市は宮城県の中でも比較的大きな市で、中心の石巻は、震災後にたくさんのボランティアの人達が移り住み、新しいまちづくりが進んでいました。その再生プロジェクトに関わっていた建築家の天野美紀さんという方が、『日和キッチン』というカフェをやっていて、ボランティアの人達の憩いの場になっていたのですが、そこを「衣食住」をテーマにしたライフスタイルショップにしたいということで、「衣」の部門のスタッフを探していたのです。まさに私に与えられたチャンスと思いましたね。

─── まさに(笑)。そこで、どんなことを始めたのですか?

「日和キッチン」の2階で、「日和スタイル」という屋号で、“服のお貸し屋”を始めました。簡単に言ってしまえば、貸し衣装業なのですが、“貸し衣装”と謳ってしまうと、ちょっと敷居が高い感じになってしまうかなと思って。アパレル会社に勤めていたときに感じたのは、世界はモノで溢れていて、今地球上にある服で、全人類がまかなえるのではないかと。今あるものでうまく回していくことができ、それで人を幸せにすることができれば、素敵だなと思ったんです。ですから、買い付けは一切行わず、“かわいい服には旅をさせよ”をコンセプトに、この考えに共感してくれる方たちから大切な服をお預かりし、その服の思い出や持ち主さまのプロフィールと併せてお貸しすることを始めました。レンタル料は、持ち主さまと折半することにしました。

はじめはこんなことで経営が成り立つのだろうか? という不安がありましたが、フェイスブックで紹介すると、全国からたくさんの思い出が詰まった服が送られてきたのでびっくりしましたね。当初は持ち主さまが大事にしていたものなら“どんな服でも”と思っていたのですが、実際始めてみるとウエディングドレスや着物、パーティー服といったハレの日に着る服が多かったので、次第にそちらにシフトしていくことになりました。

─── 結婚式のお手伝いにも携わっているそうですね。

これは偶然なのですが、ちょうど「日和スタイル」を始めた頃に、石巻で手づくりウエディングをプロデュースする「石巻ウエディング」という会社を立ち上げた女性がいて、天野さんが紹介してくれたんです。ウエディングの世界では、ホテルが所有するドレスから選ぶようになっていたり、式場とドレスショップが連携していたりすることが多く、せっかく素敵なドレスをお預かりしているのに、それをどう生かしていいのか分からず、弱気モードだったので、この出会いは大きかったですね。

お客さまと一緒にドレス選びをして、それに合う小物を探したり、お作りしたりして、介添えとして式にも参加させていただいています。その幸せな時間をご一緒できることが、嬉しくて、嬉しくて。ああ、私がやりたいと思っていたのは、こういうことだったんだなと。

─── 松島に移転されてからも、ウエディングの仕事はされているのですか?

松島と石巻は車で30~40分の距離なので、今も「石巻ウエディング」のお仕事は続けさせていただいています。

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