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地域という物語を生きる。Iターン2世のアイデンティティから見えた景色
八巻眞由
(一社)YOMOYAMA COMPANY 代表/「まどい」ママ
宮城 丸森
災害で規模拡大する一方、組織内に広がった不和
─── そうなんですね、災害モードから元に戻った感じなんでしょうか? YOMOYAMAにはその間、どんな変化があったんですか?
変化はどこからだったんだろう、むしろ、災害前の法人化した時くらいから、はじまっていたのかも。青年団を作った時もYOMOYAMAを立ち上げた時も、丸森町と一緒にやりたくて、ラブコールをずーっと送っていたんです。でも、中学生の頃から役場にずっと出入りしていたので応援はしてくれるけれど、一緒にはやってもらえない。役場で人材育成事業のプロポーザルがかかった時にプレゼンしに行ったんですが、「君たちには実績がないよね」と。丸森で育ち、丸森に育てられた私が、実体験をもって地域の未来のために必要だと思ったことを本気で提案しているのに、この町で経験を積ませてもらえないのなら、町外に出て実績を積んでこいってこと……? 一体どうすればいいんだと。
そこから、ちゃんと覚悟をもって、地域にも信用してもらえるように頑張ろうと、2019年1月に法人化したんです。その後、当時私を教育委員会に誘ってくれて、一緒に青少年教育を頑張った先輩が、「やっぱり10代の地域教育ってすごく大事だよな」って、役場での事業化を頑張ってくれて。地元高校生のためのまちづくり塾「マイプロジャーニー」を2019年にスタートするなど、ことが動き始めました。
そんな時に台風と水害が来て、最初にお話ししたような状況になり。資金的にも物的にも人的にもいろんなリソースが集まり、規模も大きくなりました。支援活動の波が去ってもYOMOYAMAと一緒に丸森でやりたいと言う人たちが残ってくれたり、同世代の地域おこし協力隊がYOMOYAMAのビジョンに共感して入ってきてくれたり。伊達ルネッサンス塾とマイプロに加えて、社会人講座「四方山大学」や、丸森まるまる円卓会議も事業に。地域交流拠点も作って、すごいエネルギーのチームになったんですよね。
でも、運営していくうちに組織内が噛み合わなくなっていった。地域の課題解決をしていきたいのに、組織内の課題対応ばかりで時間が過ぎていきました。
災害による混乱や、代表である私の1人目出産なども重なり、ただでさえ不安定なスタートアップ期の法人の揺らぎもピークに達していて、後からジョインしたメンバーからの不満は噴出し、どんなに丁寧に向き合って改善しようと努力しても次々と「できていないこと」「もっとこうあるべき」という、槍のような雨が降り続ける、そんな毎日で、私はどんどん内省に向かってしまいました。
結果的に、そのまま辞めていったメンバーもいたし、ずっと私たちに寄り添って一緒に悩んで頑張ってくれたコアメンバーもそれぞれ、次にチャレンジしたいことが生まれたタイミングで各々が自分の道を進み独立していきました。
起こっていたことはなんだったのかなと、すごく考えました。メンバーが外でYOMOYAMAのことを悪く言っていたことを間接的に知った時には、悲しい気持ちもありつつ、同時に「10代のあのとき苦しくて変えたかった景色を、10年後の自分がつくり出してる……」と、すごくへこんだり。
YOMOYAMA COMPANYが掲げているビジョンは、「すべての人が、生きたい未来を自由に思い描き、語り合い、自らの手でつくることができる社会」というものなんですが、とても長い時間をかけて考えて、一言一句に納得して言語化した、すごく腹落ち感のあるビジョンなんです。じゃあ、このビジョンに対して、いまの自分たちはどうだろうって。ちゃんとつながれているんだろうか? 私は、私の生きたい未来をつくり出せているだろうかって、すごく悩んで。
なので現状、全てを一度クリアにして、社会とつながり直してるというか、まちづくりに対して、これまでと同じ熱量のまま歩み続けていくことはできないなと感じるようになりました。それでも地域での暮らしは続いていくし、日々色々な問題と向き合うわけですが、慣習や制度、思い込みから起こる問題の多くはどれも社会全体の問題で、地方だけの問題とは思えないんですよね。移住者が増えて、地域が盛り上がっているような空気感はつくられてきたものの、私がこれまで一緒に育ってきた同級生や、マイプロで向き合ってきた高校生たち、ネイティブな地元住民の方々と話していると、「地方に暮らしていても幸せな未来をつくることはできる」という希望をもっている人が圧倒的に少ないので、そんな考え方と、そう考えざるをえない環境は変えられたらいいのにとはずっと思っています。
私、大学にも行かなかったし、ほんとに丸森から一歩も出たことないんです。でも、丸森がすごく好きで、ここでずっと暮らして子育てしたいって思ってきたんですよね。どうして私は、そう思えるようになったのかなって。
─── 地方の問題じゃなくて社会の問題というのは同感です。社会のシステムが変わらないのに、特定の場所だけうまくいくなんて、なかなかないですよね。
そうなんですよ、子どもを持って、未来がとても現実的に感じられる。学びの場作りをこれまで何年もやってきたけれど、田舎、都会に関わらず社会として、私が過ごしたティーン時代の苦しさみたいなものって無くならないし、若者に限らず、老若男女なんかみんなすごく苦しそうじゃん、って考えると、「地域」という枠の中であれこれ考えて頑張っても、虚無感があるんですよね。でも、だからって地域を無視して生きられない。大きな社会と自分を接続していくための、はじめの一歩に「地域」という小さな社会があるのかなと思います。
同時に、丸森という町自体の変化もすごく感じていて。